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卒業生コラム

鈴木 正敏

海を越えた通信

株式会社KDDI総合研究所
主席研究員
鈴木 正敏 Masatoshi Suzuki

[PROFILE]
1979年 北海道大学工学部電子工学科卒業
1984年 北海道大学大学院工学研究科電子工学専攻
博士後期課程修了(工学博士)
1984年 国際電信電話株式会社(現KDDI)入社 研究所配属
2011年 株式会社KDDI研究所 取締役副所長
2017年 株式会社KDDI総合研究所 主席研究員
2017年 春の褒章にて紫綬褒章受章

意外と古い海底ケーブルの歴史

島国の日本から海外とコミュニケーションを行うには、衛星か海底ケーブルを経由して海を越えた通信を行う必要があります。私は大学卒業後、太平洋横断の光海底ケーブルシステムに関する研究開発に従事してきました。初めて海を越えた通信が可能になったのは、今から166年も前のことです。1851年に世界最初の海底ケーブルが英仏海峡に敷設され、1866年には大西洋横断海底ケーブルが完成し、その50年後の1906年に太平洋横断海底ケーブルが開通しました。開通式では、明治天皇とルーズベルト大統領との間で電話メッセージの交換が行われており、通信が国家事業であったことが想像できます。その後、1964年に同軸ケーブル、1989年に光ファイバによる太平洋横断光海底ケーブルが完成し、現在は国際間通信の99%以上が光海底ケーブルを通して行われています。

厳しい海の中の環境にチャレンジ

図1 ▲光通信システムの実験風景

太平洋には水深8000mの日本海溝があり、800気圧にも及ぶ水圧がかかります。また、途中に設置された中継器まで、9000kmも離れた日本とアメリカの両岸から1万V以上の高電圧の給電を行う必要があります。1000芯以上の光ケーブルが使用でき、かつ給電も容易な陸上の光通信システムと異なり、光海底ケーブルシステムでは、中継器の大きさと電力の制約の関係で、ケーブルに収容できる光ファイバの数は10芯程度に制限されます。そのため、1本の光ファイバに最大限の大容量の信号を通すことが要求されます。このテーマは極めてチャレンジングですが、困難であればあるほどやりがいがあり、実現した時の喜びはひとしおです。そのような環境下で、日々研究に打ち込んできました。

図1 ▲研究開発した太平洋横断光海底ケーブル

インターネットの爆発的普及を支える

1990年代半ば、ブロードバンド通信の急速な普及に伴い、国内・国際間の光ファイバ通信システムの高速・大容量化が急務となっていました。しかし、伝送速度の高速化は限界に達していたため、限界を打破する技術が求められていました。私は、従来法とは全く異なるアプローチで、光通信システムの全体を考えた新しい方式を考案・実証し、その結果、1光ファイバ当たりの総容量がテラビット級の大洋横断長距離伝送を初めて達成しました。この成果は、2000年代に敷設されたほとんどの太平洋及び大西洋横断光海底ケーブル、並びにアジア地区の光海底ケーブルシステムに採用され、国際間の快適なインターネット通信環境の整備に貢献することができました。

根気よく問題の核心を見よう

上記の成果は、従来とは全く異なる発想から生まれました。固定概念に囚われず、自由な発想で、物事の本質に根気よく対峙することの重要性を学びました。これから大学を出て、技術者になる方、あるいは文化的な方面へ進まれる方には、ぜひ問題の本質を根気よく考え続ける習慣を身に付けていただきたいと思います。10年、20年後の世界は、これまでそうであったように、若い方々がすべて変えていきます。ぜひ、大きな問題に果敢にチャレンジし続けて欲しいと思います。

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