特集2 ー明日のために工学ができることー

 昨年3月11日に発生した東日本大震災から1年が過ぎましたが、被災地の方々は今もなお厳しい状況におかれています。しかし、災害前と同じような生活が再びできるように、被災地の方々は、多くの苦しみや悲しみを乗り越え、復興に向けて懸命に取り組んでいます。また、安全・安心に暮らすことができる「災害に強いまちづくり」のあり方が改めて問われています。人々の暮らしを支え、さらに豊かなものにするために、工学という学問とそれを実行するエンジニアの役割は、今まで以上にますます重要になっています。
 北海道大学工学部を卒業・修了した先輩たちも、エンジニアとして、復興に向けて被災地の最前線で頑張っています。ここでは、研究者・行政・民間企業という、産官学それぞれの立場から5名の先輩より、エンジニアとしての誇りや、どのような思いを胸に仕事に携わっているか、そして、次の世代を担う学生へのメッセージをいただきました。


東日本大震災からの復興まちづくりに向けて

岩手大学工学部
社会環境工学科
都市計画学研究室・教授

南 正昭 Masaaki Minami

◎1991年3月/北海道大学大学院工学研究科 土木工学専攻 修了
◎出身地/石川県金沢市

地域と共に進める防災まちづくり

 現在、岩手大学の都市計画学分野の教授として、都市・交通・景観等の社会基盤づくりに関する教育・研究・社会貢献に従事しています。防災まちづくりや高齢社会への対応などの地域課題の解決に向けて地域社会と共に取り組みを進めています。

3・11震災前後 防災から復興へ


▲市街地がほぼ壊滅し、復興を待つ宮古市田老地区被災地
(平成23年12月6日撮影)
 3・11震災以前のほぼ8年に亘り、津波避難計画の支援に関するフィールド研究を行っており、震災直前の1~2月には住民一人ひとりを対象とした津波避難訓練を実施しており、震災直後には、岩手大学教職員・学生有志とともに緊急支援情報交換サイト「WITH」を立ち上げました。その後、岩手大学に設置された復興対策本部の一員として活動しています。また、岩手県東日本大震災津波復興委員会の下に設置された津波防災技術専門委員会ならびに総合企画専門委員会の委員、宮古市東日本大震災復興計画検討委員会の委員として、岩手県ならびに宮古市の復興計画の策定と実施に携わっています。

歴史に残る復興を


▲復興まちづくりについて議論を進める宮古市田老地区の住民協議会(平成23年12月21日撮影)
 わが国の歴史に残る未曾有の大震災を受けて、後世の歴史的評価に堪える復興を果たさなければなりません。幾多の困難を乗り越え、この復興を成し遂げることが、この国の在り様の根幹を改めて形作ることになるでしょう。緊急対応、応急復旧、仮設住宅・仮設市街地、復興に至る長いプロセスにおいて、新たな解決すべき課題、工学的・技術的課題が次々と明らかになってきています。災害予知、警報伝達、救命・救出、情報共有、ライフライン確保、再生エネルギー開発、都市基盤形成等々、工学分野の果たすべき役割は目の前に無限に広がっています。ぜひ一員として参加してください。


福島第一原発などの復旧工事に取り組む

株式会社間組
執行役員
東北支店長

岩尾 守 Mamoru Iwao

◎1973年3月/北海道大学工学部土木工学科 卒業 
◎出身地/北海道旭川市

間組東北支店の支店長として

 株式会社間組東北支店で支店長を務めております。東北6県を担当し、現在、土木では津軽ダム・原子力関連・国交省トンネル等、建築ではトヨタ系の生産施設・病院・学校など公共施設等を施工しております。

職員派遣と支援物資調達を実施


▲会議中:今するべき事は何だ?(左から2番目が著者)
 仙台にある東北支店に災害対策本部を立ち上げ、最初に従業員の安否確認と稼動現場の被災状況の把握を行い、本社の対策本部と協議のうえ、全国より職員派遣と支援物資の調達を実施しました。官庁・電力・民間からの支援要請に対しては、緊急性・危険度を優先して、協力会社に大動員をかけ昼夜で応急処置にあたりました。一方、職員でキャラバン隊を編成して、全国から送られてくる支援物資を被災した自治体を中心に送り届けました。札幌支店との連携により調達した仮設ハウス・軽油タンクローリーは、地域の方々に大変感謝されました。現在は福島第一原発・ガレキ処理・除染処理等の復旧工事に取り組んでおります。

北大工学部出身の誇りを胸に


▲白石市内の中学校のグラウンドが崩落
 東北沿岸部を飲み込んだ大津波の凄まじい破壊力には、技術者として虚しささえ感じました。しかし、被災したその日から東北は復旧に向け動き出しました。国交省では、土木53期川崎博巳氏、土木54期澤田和宏氏、土木57期今日出人氏、宮城県では、土木54期遠藤信哉氏、東北電力では、原子2期梅田健夫氏、土木47期佐々木哲郎氏、建築27期田中雅順氏、民間では、土木47期長沢和夫氏、土木54期山上正敏氏、建築32期月津肇氏をはじめ、多くの北大工学部出身者が早期復旧に全力で取り組みました。まだまだ復興に向けやるべきことは山ほどあります。北大工学部出身の誇り高い技術者が増えることを期待しております。


後世に誇れる宮城県の復興に向けて

宮城県土木部
次長(技術担当)

遠藤 信哉 Shinya Endo

◎1979年3月/北海道大学工学部土木工学科 卒業
◎出身地/宮城県仙台市

宮城県土木部次長として

 
▲下水処理場を襲う津波と逃げる作業員
(県南浄化センター:岩沼市)
私は現在、宮城県土木部次長という職にあり、宮城県が事業主体となる道路、河川・海岸、港湾、都市計画などの技術部門を総括しています。東日本大震災発生後は、復旧・復興に向けて実施する事業推進の指揮を執っています。

スピードの重要性を体験

 
▲津波襲来後のガレキ状況(名取市)
東日本大震災の発災当時、私は道路課長の職にありました。三陸沿岸部では、津波によって多くの集落が孤立することが確実だったため、早期の孤立解消を目指し、津波被災地域に通じる道路の啓開を最優先に取り組みました。4月からは土木部次長として、何よりもスピードを最優先して、津波によって破壊された海岸堤防や港湾、空港等の応急復旧を進めました。また、被災市町に代わって「復興まちづくり計画」の検討を行い、震災1ヶ月後には、被災市町に対して素案を提供。この素案は、その後の各市町の復興計画に反映されました。

ピンチをチャンスに!!

 
▲津波により流された市街地【左】
被災前の状況(南三陸町)【右】
私たち土木技術者は常に自然と向き合わなければならないという宿命を持っていますが、同時に今回の大震災のような出来事を教訓として、新たな技術や社会基盤を創出していく使命をも有しています。今回の震災が、単なる復旧にとどまることなく、震災以前に比較して遙かに災害に強く、安全で安心な県土を構築する機会と考えれば、土木技術の革新も含めて大きなチャンスともいえます。このチャンスをフルに活かして、100年、200年後も後世に誇れる宮城県の構築に向けて全力で取り組んでまいります。


製鐵所の復旧と釜石の復興に向けて

新日本製鐵株式会社
棒線事業部 釜石製鐵所
製造部 技術グループ

松原 大 Dai Matsubara

◎2000年3月/北海道大学大学院工学研究科 機械科学専攻 修了
◎出身地/千葉県柏市

製鐵所で技術や商品の開発を担当

 釜石製鐵所は、スチールタイヤコードと呼ばれるタイヤ補強筋や、自動車エンジン向けボルト、またフェンス等の素材として用いられる線材という鉄鋼製品を製造しています。その中で、私は製造技術開発や新商品開発などを担当しています。

製鐵所の復旧が地域復興につながる


▲線材ライン(レイングヘッド)
 東日本大震災において、当所の損害は軽微でしたが、製品の出荷や石炭の受入等に使用する自社専用桟橋や、誘致企業が津波により打撃を受けました。「製鐵所の復旧」と、「誘致企業の存続」というミッションの完遂が釜石の復興につながると信じ、社員全員が一丸となって頑張っています。
 その中で私は、各エンジニア(機械・電気・土建)の統括を担当しています。このミッションの成功の鍵は、「費用」と「工期」の最適化です。これらを満足させることが企業の存続につながります。「必ず成功させる」という信念の下、エンジニア達と日々議論を重ね、アイデアを出し合いながら方案の最適化を図っています。

エンジニアとしての社会貢献を目指す


▲全天候バース(被災時)【上】
全天候バース(復旧中)【下】
 製鐵所は、平成23年4月に圧延再開、7月に電力工場を再開し東北電力への電力供給を行っているほか、専用桟橋も一部復旧して使用を開始しています。この早期復旧においては、ロボットを活用したクレーン診断による修理方法の最適化や、工法の工夫による被災した設備の流用(新設回避)など、エンジニア達の活躍が復旧や復興を支えていることを強く実感しています。
 ぜひ、学生のみなさんには大学や大学院で積極的に工学知識を学び、将来各方面でエンジニアとして活躍してほしいと思います。


エンジニアリング力なくして復興なし

日本製紙株式会社
石巻工場
工務部長

中村 真一郎 Shinichiro Nakamura

◎1986年3月/北海道大学工学部機械工学科 卒業
◎出身地/北海道札幌市

製紙工場の設備管理全般を担う

 当社は紙を製造する装置産業として多くの製造設備を有しておりますが、工務部はそれらの設備の設置計画から設置後の保全まで、設備管理全般を担う部署であり、機械・電装・土建の全分野を管掌しています。

状況を見極めて復興計画を策定


▲工場正門前 被災直後【上】
同 瓦礫処理後【下】
 宮城県石巻市の海岸沿いに立地する石巻工場は、想像を絶する津波に襲われました。3mを超える津波で泥水に埋まり、流されてきた住宅や車などが至る所に散乱する様は、もう工場の復旧は無理かもしれないと悲観的な考えに陥ってしまうほどの惨状でした。水が引いてから生産設備の状況を確認すると、地震による被害は、その規模の割には小さかったものの、津波に晒された電気設備は壊滅的な状況でした。整備して復旧するべきか、更新してしまうべきか、それとも復旧を諦めるべきか…?設備の被害程度の見極めと共に、時間とお金のファクターを考慮しながらプラント全体の復興計画を策定しました。

総合的なエンジニアリング力を磨く

 エンジニアに要求される力として「技術力」と並んで重要と言われているものに、「問題解決力」と「変化対応力」があります。これまで誰も経験したことのない未曾有の惨状から一刻も早く復興させるためには何をどうしたら良いのか、正にそれらの力が求められる場面でした。
 今回の震災により、製造業は日本の柱であることが再認識されましたし、「技術なくして復興なし」ということは議論の余地がありません。みなさまも日本の将来を担うエンジニアとして、技術力だけではない総合的なエンジニアリング力を磨いていただきたいと思います。