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卒業生コラム

鈴木 淳

最前線で市民を守る「砦」

札幌市消防局 
豊平消防署警防課消防一係
消防士長

本間 翔太 Shota Honma
[PROFILE]
平成19年3月 北海道大学工学部建築都市学科卒業
平成19年4月~ 札幌市消防局に入局(札幌市消防学校にて6ヶ月間の初任研修に入る)
平成19年10月~ 北消防署警防課消防一係 配属
平成23年4月~ 豊平消防署警防課消防一係 配属
現在、豊平高度救助隊の副隊長として勤務中

消防だって?

 学生時代、体を動かすことが特に好きだった私は、「机に座らなくてよい公務員」というあまりに単純な思いつきでこの世界を希望した。工学と消防の世界は、一般的に見ても関連性が薄い。同級生でも公務員は数多くいるが、学部卒で消防の道を選択した私は明らかなマイノリティーだった。
 しかし、実際に勤務をしてみて感じたのは、同じ公務員という職種の中でも消防は特に業務の幅が広いということだ。24時間勤務で現場に出動する者もいれば、無線の指令業務や火災原因調査を行う者もいる。さらには、一般的な会社員と同じ勤務時間で、組織の総務や財務に携わる者までいる。同じ採用区分で採用された職員が、人事異動ひとつで、ここでは到底書ききれないほどの多様な業務に就いている。その中には、大学での経験を生かすことができる業務も多いのである。

はしごを登り続けた1年

図1▲消防救助技術訓練
(15mの垂直はしごを駆け上がり続けた1年間)
 そうは言ったものの、私は採用から今年で6年目、全て警防課(24時間勤務で災害対応を行う)に勤務している。最初の1年間を水槽隊員(ポンプ車からの放水による消火業務が主業務)として勤務した後、通常の勤務体系から外れる形で、訓練隊員として全国消防救助技術大会に臨むことになった。この大会は、日頃鍛えた救助技術を披露し、互いの知識や技術を交換することで、複雑多様化する災害現場に対応できる高度な救助技術と強靭な体力や精神力を養うことを目的として、年に一度開催されるものだ。全国9地区の予選により選抜された全国の訓練隊員約1000人が、「陸上の部」7種目と「水上の部」7種目でその技術を競い、訓練の成果を発揮する大会である。私は、命綱を結んでから15mの垂直はしごをかけ上がるタイムを競う、「はしご登はん」という陸上種目に出場することになり、1年間、ひたすら命綱を結び、はしごを登り続けるという毎日を送った。結果、平成21年8月に横浜で行われた大会では、全国1位という結果を残すことができ、これをきっかけに、目標としていた救助隊員としてのキャリアをスタートさせることができた。

3.11に活きた研究室での学び

 救助隊員として現在まで様々な災害現場を経験してきたが、その中でも今後も絶対に忘れることがないのが東日本大震災である。緊急消防援助隊北海道隊の一員として、発災直後の3月12日から宮城県石巻市で約1週間、要救助者の捜索・救助活動にあたった。捜索では、残念ながらすでに亡くなられている方が多かったのだが、自隊で1名の生存者を救出できたことが、私自身の気持ちの上でも救いであったように思う。
 石巻市街も他の沿岸地域同様、誰もが目にしたことのないような壮絶な光景であった。余震や津波、建物倒壊等の二次災害危険から自隊の身も守りつつ、一面の瓦礫から要救助者を捜索・救助するという、経験したことのない活動の中で、学部で得た建築に関する知識が役に立った。特に、都市防災学研究室で学んだ地震や防災の知識が、無意識のうちに私をサポートしてくれていることを実感できた。さらに、肉体的にも精神的にも強いものが要求される現場で、学部生時代に学業と部活動やアルバイトを両立しながら続けてきたことで養われた体力と精神力が活きたことも、紛れもない事実である。

図23.11東日本大震災(石巻市街での捜索・救助活動は困難を極めた)

市民の守り手として

 消防の世界も、これまで目が向けられてこなかったことにスポットを当て、次のステージへと歩みをすすめるというのは常である。私が現在所属する豊平高度救助隊でも、新たに震災等の建物倒壊を伴う現場での、都市型捜索救助、狭隘空間救助といった分野の検証・訓練や資機材整備を進めている。もちろん、火災救助や一般救助全般に備えた体力・技術の向上を目的とした日常訓練も怠ることはない。今後も救助に限らず、様々な分野の業務に従事することがあると思うが、火災をはじめとするあらゆる災害から市民を守るという「消防の存在意義」は、どんな業務であろうと変わることはない。これまでの経験を生かして、より高い水準での安全を市民に提供できるよう努めたい。

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