単一次数高調波による気相分子の時間分解光電子分光

我々のグループでは,時間遅延補償分光器 (TDCM) による単一次数高調波を,気相分子の光電子分光へ応用しています.光電子分光とは,光電効果により放出された自由電子の運動エネルギーから,イオン化エネルギーを測定する手法です.クープマンズの定理によれば,分子軌道エネルギーの絶対値はイオン化エネルギーの近似値となります.そのため,超短パルス光による光電効果を利用することで,瞬時的な電子状態を調べることができます.近年では,分子理論とコンピュータの著しい進展により,分子の電子励起状態での挙動についても量子化学計算に基づいて議論することが可能になりました.最近では,第一原理分子動力学計算により光励起後の分子運動を追跡する研究も報告されるようになっています.時間分解光電子分光の結果と量子化学計算の結果とを比較することで,分子の超高速化学反応ダイナミクスに迫ることが可能になりつつあります.
高次高調波による高い光子エネルギーをもつ光パルスを分子の光電子分光に用いることで,高い時間分解能のみならず,高い空間分解能も同時に達成することができます.分子軌道は軌道ごとに異なる空間分布を持っているので,光電子スペクトルと分子軌道とを対応づけることにより,電子の空間分布に関する情報も得ることができます.また,光電子スペクトルは分子構造の変化にも敏感であるため,化学反応や異性化反応に伴う分子構造の変化も明確に観測することができます.
例えば,図1は,1,2-ブタジエンの光電子スペクトルと,その分子軌道への帰属を示しています.C-C単結合の結合性軌道(σC-C)は14 eV程度の軌道エネルギーをもっていることが分かります.14 eV 付近の分子軌道を観測することによって,光励起の緩和後にC-C単結合が開裂する様子を観測することに成功しています [1].

これまでにも光電子分光を用いた光化学反応の研究は盛んに行われてきました.しかしながら,これまでの研究では,紫外レーザー光(数eV程度の光子エネルギー)を用いた浅いエネルギー領域にある価電子状態の観測が中心でした.
高い光子エネルギー(数十eV程度の光子エネルギー)をもつ高次高調波光源の登場によって,初めて,分子構造の指紋ともいえる深いエネルギー領域にある複数の分子軌道を,フェムト秒からアト秒の時間分解能で観測することが可能となったのです.同時に,高調波を用いた光電子分光により,分子内の「何処」で化学反応が起こるか,という新しい情報を得られるようになりました.

図1. 1,2-ブタジエンの光電子スペクトルと,その分子軌道への帰属

[1] R. Iikubo et al., J. Phys. Chem. Lett. 6, 2463 (2015).

最近の研究成果
1,3-ブタジエンの超高速緩和ダイナミクスの観測
A. Makida et al.J. Phys. Chem. Lett. 5, 1760 (2014).
1,2-ブタジエンにおける光解離と超高速緩和ダイナミクスの観測
R. Iikubo et al.J. Phys. Chem. Lett. 6, 2463 (2015).
1,3-シクロヘキサジエンの超高速光開環反応の観測
R. Iikubo et al.Farad. Discuss. 194, 147 (2016).