研究紹介

It's a small 'porphyrin' world!

 ポルフィリン(porphyrin)は4つのピロール(pyrrole)が環構造をなす化合物です。酸素運搬を行うヘムや光合成中心のクロロフィルにも共通して見られる分子骨格であることから、生命の色素と呼ばれています。ポルフィリンが合成される際には、ピロールが炭素原子で連結されながら4つのユニットで選択的に環を形成します。ここで長年未解決とされてきた謎が、「3つのピロールでは環ができない」ということでした。我々は、この謎を解く鍵とされてきた化合物 calix[3]pyrrole の合成に14年の歳月をかけて挑んできました。そしてついに、カルボニルひもを前駆体とするcalix[3]pyrrole合成を達成し、その謎を解き明かしました。

ポルフィリン(生命の色素)合成に秘められた謎

porphyrin synthesis

 ポルフィリンの環サイズは、中間体であるポルフィリノーゲン(porphyrinogen)によって決定されます。ポルフィリノーゲンはピロールがsp3炭素によって連結された化合物で、これが酸化を受けてポルフィリンとなります。Calix[3]pyrroleは、ピロールが3つからなるポルフィリノーゲンの環縮小類縁体と言うことができます。すなわち、ポルフィリン合成の謎は、「なぜピロールからcalix[3]pyrroleができないのか?」という問題に言い換えることができます。しかしこの化合物は、多くの研究者によって合成が試みられながらも、これまで誰も成功していませんでした。

鍵化合物Calix[3]pyrroleを作り、謎を解く

calix[3]pyrrole synthesis

 我々は、6つのカルボニル基を持つカルボニルひもを環状にした「カルボニルの輪」からcalix[3]pyrroleを世界で初めて合成しました。Calix[3]pyrroleは中性条件では非常に安定な化合物でしたが、小さな環には大きな歪みエネルギーが蓄えられていることが分かりました。そこで、この化合物をポルフィリン合成と同じ酸性条件下に置いてみると、10秒も経たないうちに環拡大反応を起こし、ピロールが6つの環へと変換されてしまいました。この歪みエネルギーに誘起される環拡大反応こそが、3つのピロールからなるポルフィリンが見つからなかった理由だったのです。一方、calix[3]pyrroleの中心にホウ素原子を導入したものは酸性条件でも安定に存在できることが分かりました。これは、我々が2006年に世界で初めて合成した環縮小ポルフィリン(subporphyrin)がホウ素錯体という特殊な状態でのみ得られていた事実も説明しました。

calix[3]pyrroleの合成は、「小さな環を持つポルフィリンの化学」という大きな研究分野をもたらしました。今後も、カルボニルひもを武器としてこの新しい分野を開拓していきます。

機械学習と有機化学の融合

 私たちは、AI時代における新たな有機化学研究の可能性も探究しています。

 機械学習は、研究のみならずあらゆる分野で私たちの生活に革命をもたらしています。しかし、その基本的な原理や適用範囲は未だ多くの人には理解されておらず、不必要に不安を抱いたり排除する動きすらあります。私たちは、10年、20年後の未来を見据え、機械学習との融合が化学研究の躍進を支えると考えて研究を行っています。

機械学習で研究者の眼を作る

Image-based Machine Learning

 私たちが機械学習を使って最初に取り組んだのは、研究者の「経験と勘」をデータ化することです。研究者は経験を積んでいくと、目視観察だけでも混合物の組成や反応収率がある程度の精度で予測できてしまうことがあります。このような観察眼は、新しい発見を導く上で強い武器となりますが、初心者にとっては簡単に手に入るものではありません。
 私たちは、そんな研究者の「経験と勘」を画像機械学習によってデータ化することで、写真だけで固体混合物の混合比を予測するシステムを作り出しました。その結果、人間の眼では判別困難な砂糖と塩の混合物に対して、平均誤差約4%で重量比を予測することに成功しました。さらには、専門的な分析装置を用いても決定に苦労する結晶多形の混合比や鏡像異性体比も同様な精度で予測することができました。この機械学習システムを応用することで、化学反応の収率を写真だけでモニタリングすること可能になりました。
  今後、私たちはこの機械学習システムをカルボニルひもやCalix[3]pyrroleの研究にも応用し、多くのtrial-and-errorに依存している合成研究を高効率化していく予定です。

「カルボニルひも」の化学

 もし分子の世界に、何にでも自由に姿や形を変えられる魔法のロープのようなものがあったなら、それはどんな分子だろう? 私たちの研究は、そんな発想からスタートしました。最初は、何かの役に立つだとか、研究の意義だとかいうことは考えていませんでした。ただ、ずっと作ってみたい分子があった。

Carbonyl rope

 私たちにとっての魔法のロープ分子は、その名を「カルボニルひも」と呼びます。

 カルボニルひもは、炭化水素の鎖にカルボニル基がたくさん結合した分子です。最初は、合成する方法さえありませんでした。2年間かけて、アセチルアセトンという小さなカルボニル化合物を1つ1つ反応で繋ぎ合わせて、1本の長いひもにすることで合成できるようになりました。そして、作ってみるとこの分子は、色々な形に変形でき、さらに様々な働きをすることが分かってきました。まさに魔法のロープです。そして、ついに魔法の分子ロープは私たちの長年の夢を叶えてくれました。(It's a small 'porphyrin' world!参照)

カルボニルひもを伸ばす

 カルボニルひもの原料であるアセチルアセトン誘導体は、長さが0.5ナノメートルほどしかない小さな分子です。この化合物の末端に反応点としてシリル基を導入し、続いて酸化銀を作用させることで、その長さを2倍にすることができました。この末端シリル化と酸化銀によるカップリング反応を繰り返すことで、全長が6ナノメートルにも及ぶ長いカルボニルひもを合成することができます。このカルボニルひもを、有機分子の中でよく目にするベンゼンと分子模型で比べてみると、その長さが良く分かります。

Carbonyl rope

カルボニルひもで色素分子を”一筆書き”

 カルボニルひもは、様々なカタチの炭素骨格を一筆書きで描く様に合成することができます。特に、π共役系の繋がった分子を描けば様々な色を呈する色素化合物を生み出すことが可能です。以下に示す分子は、どれもカルボニルひもから誘導された新しい有機色素です。それぞれに赤い太線で示された炭素の繋がりが元のカルボニルひもの炭素鎖に相当します。ここで生み出された色素分子は、単に色が付くだけでなく、固体状態でのみ発光したり、光を当てることで分子構造とともに色が変化したりといった機能も持ちあわせていることが分かってきました。

Chromophores

カルボニルひもからイミンひもへ 〜ひもを織る、巻き付ける〜

 カルボニルひもにヒドラジンを作用させると、全てのカルボニル基がイミンへと定量的に変換されます。イミンの窒素原子は、金属イオンと配位結合しやすいため、イミンひもと金属イオンを混ぜることで様々な形(ナノ構造体)を作り出すことができます。

Imination

 これまでに、ニッケルや亜鉛、パラジウムなどの金属イオンを使ってイミンひもを巻き付ける、2次元のシートを織る、2重らせんのようなペアを作るといった事に成功しています。

Nanostructures

参考文献

上記の研究をもっと詳しく知りたい方は、論文リストをご参照ください。