このページは、大学で教育・研究活動を行う筆者が、日々の活動の中で感じた個人的な見解を紹介するページです。なるべく楽しく、ポジティブな提言をできればいいなと思っています。

菊地 竜也
 
 

研究必需品はなんでも高い

 私、博士課程1名、修士課程4名、学部学生2名、計7名の学生諸氏とともに研究活動を行っております。研究の方向がいろいろ広がりますと、それに合わせて研究に必要な実験装置や消耗品も幅広く必要になってきます。すると・・・お金がたくさんかかります。で、大学が用意してくれるお金(「校費」とよびます)は、普段のコピー代とか、文房具代とか、電話代とか、事務補助員さんの費用などに消えてしまいますので、どっかから研究資金を稼いでこなければ研究できません。平成29年度は6つの公募型研究資金をいただくことができましたが、研究を進めていくと、それでもお金が足りません。うーむ。おかしいな。次から次へと実験したいことがでてくるので、いくら研究資金をもらっても結局「金ねえ」と言っているような気もいたします。つまるところ、1億円もらっても「やっぱり金ねえ」とか言いそうです。
 

 
例えばこちらのダイヤモンドナイフ、金属や酸化物の試料を電子顕微鏡で観察するために、とっても薄くスライスする(50 nm、0.00005 mmの厚さ)ダイヤモンド製のナイフで、手のひらにちょこんとのるくらいの小さなものです。1個40万円弱もいたします。ナイフとして使用しているうちにだんだんダイヤモンドの方も削れていきますし、ちょっと力加減を誤ると刃が欠けてしまいますので、消耗品です。間違って落っことして直撃したら、ご臨終。

 
 電気化学では電極として白金(プラチナ)をよく使います。化学的に安定な金属で、水素過電圧が低いために定番の電極として用いられますが、白金は金(ゴールド)と同様、相場物の金融資産としても扱われるお高い金属で、現在1グラム3600円です(これでも10年前に比べればかなり安くなった)。当然、研究に白金板、白金線を使えば、10万20万すぐに飛んでいきます。悲しい。
 
 本年度、新しい実験を行うために数種類の実験装置を購入・組み立てましたが、大気・真空・ガス環境高温電気炉・菊地悪魔の改造スペシャルにおよそ110万円、その場高温処理DCマグネトロンスパッタ・菊地悪魔の改造スペシャルに125万円、電気化学インピーダンス装置に210万円(改造は今のところ無い)、動的接触角測定装置(これも改造無し)に100万円と、なかなかのお値段です(実は他の研究者から見れば、これはそれほど大きな金額ではないのです)。
 
 ちなみに悪魔の改造スペシャルとは、「既製の市販品ではユニークな実験などできないぃぃ!! 独創性のある装置を作らずに何が研究だぁ!!」と考えるユニークな研究者の皆様が、勝手にいろいろ装置を改造してパワーアップしてしまうことをいいます。悪魔の改造手術によっていろいろヘンテコな実験ができるようになりますが、ぶっ壊した場合は自己責任です。もっとも、「ぶっ壊すのが怖くて研究者をやってられるか! 壊したら自分で修理せんかい!」という世界です。真の研究者は、ほとんど原型をとどめていない悪魔の改造手術を行います。
 
 ・・・・・。そんな悪魔の改造手術するから、お金が無いのかもしれません。が、そういうところから新しい発想と研究成果が生まれるのもまた事実です。楽しく研究しないとね。業績だ何だというよりも、楽しくないとね、おそらく楽しい研究成果は得られません。

広報いろいろ

 前回も書きましたが、菊地は大学や学部、学科の広報関係の仕事を結構いたしております。国立大学であっても優秀な学生を獲得するために広報の重要性が増しております。知ってもらわなきゃ選択肢にすら入らない。どう知ってもらいましょうか。
 
 最近は世の中広告が増えました。あらゆるところに広告があります。ちょっと増え過ぎです。野球やサッカーをテレビで見れば、壁から芝生、ユニホームまで広告だらけ。デジタル技術を使って広告が動いたりもしています。インターネット上も広告ばかりで、正直少しうるさい感じもいたします。地下鉄で通勤していると、通路も電車の中も広告ばかりです。いったいどのくらいの広告費用がかかるのだろう?と広告の掲載代金を見てみますが、何百万円もの掲載料がかかるのです。そんなに高いのですか・・・。この広告過多の世の中をさらに一歩進み、大学の中に広告設置を許可、広告料をいただいて稼ぐというのはいかがでしょう? 廊下とか教室にやたらと広告がはってある。黒板にも机にも広告です。配布するプリントにもなぜか広告。これでは、うるさすぎて全く勉強になりませんね。
 
 私、札幌に住居を構えておりますが、札幌市民には「広報さっぽろ」という広報誌が毎月届きます。この広報誌がまたいつも考えさせられる。何が考えさせられるって、最初のページや裏表紙などに広告が掲載されているのですが、最初のページの広告は1面ぶち抜きで「高齢者住宅」と「お墓」、裏表紙の広告はこれまたぶち抜きで「補聴器」と「お墓」。はたして広告の効果があるのか無いのかよくわかりませんが、「高齢者住宅」/「補聴器」と「お墓」の組み合わせ、ブラックジョークみたいな感じで、もう少しなんとかならんのかと思います。せめて「高齢者住宅」と「補聴器」の組み合わせにして欲しい。「お墓」は独立の別のページで。広告のターゲットとしてはわかるんだけどさ。
 
 私が人生で見た最強の広告は「週刊便所」です。学生時代、北大応援団が発行しておりました。その名のとおり、「便所」に貼ってあります。トイレに入りますと、ちょうど顔の位置に「週刊便所」がくるのです。有無を言わさず見せつけられる。究極の強制的広告です。見ぬのなら、見させてみしょう、ホトトギス。内容は応援関係のニュース、ごっつぁん開催(ごっつぁんとはおごりで飲み食いできること)、皆で寮歌を歌おう、などが主だったかと思いますが、別に知りたくなくても知ってしまう、見たくなくても見せつけられる、ものすごい宣伝効果です。いつの間にか廃刊になったようですが、「勝手にトイレにるな!」と当時の事務官に怒られたのでしょうか? 廃刊の真相は不明です。
 
 そういえば、この「週刊便所」スタイルの広告だけは今もあまり見かけませんね。世の中の広告マン・広告ウーマン諸氏、「週刊便所」スタイルの広告効果は抜群ですよ。だって見たくなくても見せつけられちゃうのだから、強制的に。やっぱり、今考えても究極の広告と申せましょう。なかなか学生も面白いことを考えるものです。学生は発想が柔軟で組織のルールにあまり束縛されていないため、独創的で斬新なアイディアを生み出すことがよくあります。グローバルだ、人工知能だ、なんだと、ありきたりで物まねで中身もぺらっぺらの大人達の発想よりも、世の中の仕組みを劇的に変えるアイディアが含まれているかも知れませんよ?
 
 ただし、時として学生は無茶苦茶をすることがあります。そんなときは周りの大人が「こらっ!」と1回説教すれば良い。そして、あとはまた好きにやらせてみる。今よりもっと自由があっていい。若い学生の自由な発想が日本を変える。
 

週刊便所の位置関係

大学教員のお仕事

 「大学の先生って夏休みとか冬休みとか何をやってるの? ゆっくりしているの?」とか「テレビにたくさん出ている大学の先生をよく見るけど、ゆとりがあるの?」と聞かれることが結構あります。いえいえいえいえ、もう大変です。勤務時間だけ単純に考えていたら、相当ブラックでしょう。少なくとも私のまわりは誰もが忙しいですよ。心配になるくらいです。なんでこんなに忙しいのでしょう? おかしいな。
 
  何かの本かインターネットのページに「大学教員は講義負担などの義務をこなせば、比較的ゆとりのある生活がおくれます」みたいなことが書かれていましたが、コラコラコラ、嘘を言うんじゃない、いったいそんなゆとりのある大学教員がどこの世界におるのだ、と失笑したのを覚えております。
 
 ここ最近の自分がどのような仕事をしているのか、考えてみました。
 
(1)講義のお仕事
 大学教育の根幹の1つです。シラバスの作成から始まって、講義の準備、演習、試験、採点など、一連の仕事はなかなかのボリュームです。大学レベルの講義では大変に難しい内容が一杯あります。下手すると、なぜそうなるのか根本的な理由は未だにわからない、といったような。そのような内容をわかりやすく講義して理解してもらえるだけの準備をするのは大変な作業です。
 菊地はレポート見るのもガチです。真剣に見ます。従って、コピペレポートを見破る能力に長けております。コピペレポートの99%は、出題の解答になっていないものをなぜかコピペしてまいります。従って、コピペレポートが提出された場合は、コピペ元の印刷物と一緒に突き返します。
 研究室では雑誌会(研究論文をディスカッションする勉強会)や研究報告、輪講(教科書の勉強会)などのゼミを4年生や大学院生と行っています。他にも非常勤講師として他大学の講義も受け持っています。これも同様に大変です。
 
(2)研究のお仕事
 研究室に所属している以上、「研究してナンボ」です。何を研究しても良い自由がありますが、「研究しない自由」だけはありません。学生と一緒に研究を進める訳ですが、アイディア出して、打ち合わせして、指導して、結果をディスカッションして、学会発表して、論文を執筆する、この一連の作業は非常に根気のいる仕事です。1つでも手を抜いたら、あまりいい研究成果が得られません。学生が学会発表する際の打ち合わせも莫大な時間がかかります。初めての学生だったら・・・10分の口頭発表を行うために、少なくとも5時間、普通は10時間くらいの打ち合わせ時間をかけているでしょうか? 論文投稿なんて、1報につき何10時間かかっているのかわかりません。論文執筆の終盤は、もう文章を何回も見て見飽きて、こんなものもう見たくもない、気持ち悪い、ぐらいの感覚になります。でも、それくらいすれば、いい論文になります。
 また、タダでは研究できませんから、研究費をどこかから獲得しなければなりません。菊地の場合は公募型の研究費ばかりです。研究の募集があって、それに申し込んで優秀ならば採択されるのです。採択率は高いもので25%くらい、低いと数%みたいな感覚でしょうか。超競争社会です。面白い申請書を執筆するのはとても時間がかかります。採択されれば頑張って研究しなければなりませんし、お金の管理や報告書作成、成果発表会などがあります。採択されなければ、お先真っ暗です。お先真っ暗になった年度もありました。が、頑張ってやっていれば、必ず誰かが見ていて拾ってくれます。捨てる神に、拾う神。
 
(3)宣伝のお仕事
 菊地は「北海道大学大学院 工学研究院 材料科学部門 エコマテリアル分野 エコプロセス工学研究室」という大変長くてややこやしいところに所属しておりますが、北大や工学部を受験してもらうために高校に宣伝に行ったり、学科移行してもらうために1年生に宣伝したり、研究室に来てもらうために3年生に宣伝したり、宣伝ばかりで大変です。全国の高専や大学に向けて、学科のパンフレットも作っています。デザイン含めて全部手作りです。案内文の印刷から封筒詰めまで、教員が行うのです。なにせ、お金が無い。事務職員はいないのかって? もう事務職員は極限に近いところまで削減されてしまっているのです。
 
(4)事務処理のお仕事
 物品購入手続き、出張手続き、うんざりするほどの書類を書かなければいけません。例えば、学生3名と一緒に学会出張するとなったら、30枚くらい書類を作るのかなあ。学生は書類を作成する権限がありませんので、全部教員です。事務処理に関しては、正直もっともっと簡略化できることがたくさんあるように感じます。しかし、若輩はそれを改善する権限がありません。あまりに頭にきた場合は、「改善できるはずだ!」と文句を言うこともあります。でも、先方も権限が無いので、なかなか簡単には改善されません。 改善と言えば、押印欄が10カ所以上ある書類、そんなにたくさんの判子が必要なのかなあ? 3つでいいと思うよ。
 
(5)会議のお仕事
 どこの組織も会議がたくさんあるのは世の常ですが、大学も例に漏れずとても多いのです。ものすごく重要な会議から必要性全く不明の会議までレパートリーはさまざまです。で、会議に出席することによって、いろいろな仕事がもれなく付与されます。例えば、昨年は「アクティブラーニング(能動的な学修)のファカルティディベロップメント(教育能力を高めるための勉強)」を担当しましたが、講師の依頼から会場準備、案内、録画の手配、いろいろな作業を担当いたします。
 ところで、アクティブラーニングやファカルティディベロップメントなどのカタカナ言葉、なんとかなりませんかね? 当日の司会では壇上で「文部科学省の資料を見ても訳が分からない!」と一人で怒っておりました。
 
(6)学会関係のお仕事
 基本的に日本の学会は大学の先生のボランティアで成り立っております。なにせお金が無いので。国際会議なんてやろうもんなら、チラシづくりからお金の管理、来日研究者のビサの書類、お土産用意に宿の手配、完全に旅行代理店状態になります。ちなみに今は、2019年の国際会議のチラシを作っております。学会のホームページも作っています。結構楽しかったりもするのですが、情報を定期的に更新しないと死んだホームページになってしまいますから、責任重大です。
 論文の審査の仕事もあります(レフェリー)。論文を熟読して掲載に値するか、どこを改善すべきか、いろいろコメントします。大変時間がかかりますが勉強にもなりますし、そもそも自分が論文投稿したならば、少なくとも世界のどなたか最低2名くらいの研究者がレフェリーをしてくれていますので、お互い様、研究者の義務みたいなものです。菊地は昨年25件くらい担当しました。
 
 同窓会の運営だって教員の誰かがやらなければなりません。安全管理だってとても重要です。ここに書くことの出来ない秘密のお仕事もたくさんあります。日本の大学の世界的地位が下がっていくのは、大学教員が疲弊しているからだと確信を持って断言できます。なんなら、若輩の私に大学の現状を講演させなさい。
 
 でもお前、実のところは結構ヒマだからこんな文章書いているのだろうって? いや、とある土曜日、学会の出張の帰りに羽田空港で待っていたら、「使用する飛行機の手配がつかないため欠航いたします」と言われて延々待っているのですよ。待ち疲れてストレス発散のために執筆したのでした。

毎度おなじみ、出張は雨で惨敗

 最近は世の中出張が多くなりました。この文章を書いているのも出張中の飛行機の中なのです。移動手段が発達して、便利になったのやらせわしいのやら。札幌から東京日帰りなんて当たり前で、今はひょっとしたら沖縄日帰りも可能なのでしょうか? どうしましょう、将来超音速旅客機が開発されてシンガポール日帰りとかになったら。
 
 出張ばかりしていると教育・研究がおろそかになりますし、自分自身が堕落しそうな感じもしますので、菊地はどちらかというとあまり出張しないように努力しております。とは言っても、講演会や広報関係、見学会などでどうしても出張はあります。菊地はひどい肩こり症なので、出張の際にはいかに荷物の量(特に重量)を少なくするかが勝負です。荷物が重いと、肩こりで体調が悪くなってしまいます。
 
 荷物で一番重いのは、なんといってもパソコン関係です。菊地の使っているパソコンは4年くらい前のMacBook Airというやつで、1.08 kgだそうです。Air(空気)という名ですが、肩こりの菊地には重い・・・。それでも昔に比べたら驚くほど軽くなりました。菊地の師匠は3 kgくらいのノートパソコンにどっしりした重さの予備バッテリーを持ってガンガン出張されておりました。無理です・・・。そんな訳で、1 kgでも重い重い言っている軟弱な菊地、他の荷物も可能な限り最軽量を狙います。もう荷物は極限まで軽量化されておりますが、それでも出来るだけ持って歩きたく無いもの・・・傘です。
 
 出張に行くと、当然のごとく運不運で雨、時には土砂降りに出くわします。最近の天気予報は精度が非常に良いので、調べればおおよその予想はつくのですが、とにかく荷物を軽くしたい性分、「ええいっ、東京に着く頃には雨などあがっておるわ!!」と客観性ゼロの強い意志で傘を持たないまま勝負してしまいますが、結果はだいだい惨敗です。で、しょうがないので、その度にコンビニで傘を買っていたら、10本以上たまってしまいました。うーむ。おかげさまで、札幌での帰宅時に雨が降っているが傘は無い、ということは無くなりました。
 
 いや、折りたたみ傘は一応持っているんですよ。持っていてもさらに新しい傘をどんどん買っていくこの姿、いくら荷物の最軽量を目指すにしても結局買って帰るんだったらその分荷物は重くなっている訳で、本末転倒にも思えてきた。やっぱり肩こりの元凶は仕事で必須のパソコンか。本体も重いし、電源コンセントも重い。付属品も重い。もっと軽いパソコンを探索してみようかと思う今日この頃です。MacBook Helium(ヘリウム)とか軽いパソコン作ってくれないでしょうか。軽すぎて飛んでいっちゃうか。
 

傘がたくさん

ハワイでリクルートスーツ

 先日、ハワイのホノルルで開催された国際会議(環太平洋電気化学国際会議PRiME2016)に参加して発表してまいりました。菊地は三回目の参加です。ハワイで国際会議って、何だか聞いただけでもワクワクしますよね。しかも会場は郊外ではなくて、アラモアナの「ハワイ国際会議場」とワイキキの「ヒルトンハワイアンビレッジ」です。国際会議場はアラモアナショッピングセンターのすぐ近く、ヒルトンなんて目の前がすぐビーチで、白い砂浜に青い空と海が広がります。おー、この世の楽園、ハワイ!
 会場はホテルから歩いて15分くらいの距離にあり、ピストン輸送のバスが用意されていたのですが、せっかくハワイに来たのでバスには乗らず歩いて通ってみました。超高級コンドミニアム群の中を歩くと、さんさんと輝く太陽の下、ヤシの実がそよ風に揺れています。心が洗われます。サーフィンボードを持ったお兄さん、浮き輪を持った家族連れ、アラモアナでのショッピングを楽しみに歩くお嬢さん達、みんな楽しそうです。
 
 そんな中、会場までの道のりの途中、若干ハワイに似合わない服装の集団に出会います。炎天下のワイキキを、おそろいのリクルートスーツをビシッと着て歩いています。いつも思うのですが、ここはハワイなのだから、南国の格好でいいじゃない。ダメ? 誰も怒らないと思いますよ。今回、素晴らしい研究業績をあげたアメリカの先生が受賞されていましたが、受賞時も、ご自身の発表時もアロハシャツでしたよ(しかもやたらと似合っている)。いいなあアロハで発表。でも、講演発表の内容はものすごくレベルが高いんですよ。魅力的で超高レベル。それがまたいい。
 
 菊地はどうなんだというと、前回はハワイにスーツすら持っていかず、国際会議場では常にジーンズ、大人気のハワイアンブランド・SPARKのピンクの Tシャツを着て「レーザー電気化学微細加工でマイクロレンズアレイを新規開発しました」と発表しました。なんとなく、一部から熱い視線がささったような気もします。本当にすみません。じゃあ今回はというと、大先生の記念シンポジウム・レセプションが特別にありましたので、Yシャツ着てネクタイ締めて発表しました。奇跡です。ここらへんが軟弱ですみません。
 
 菊地はリクルートスーツを買ったことがありません。なんで皆があんな同じ色に同じデザインのスーツを着て就職活動するんだ、といつも思います。画一的に過ぎる。ハワイでリクルートスーツ集団に出会ったら、もう何かのジョークとしか思えない。あ、日本人の画一性をハワイで逆説的に訴えるブラックジョークを狙っているとか・・・? にしても、やはりハワイでリクルートスーツは暑い。どう考えても暑すぎる。いや、もちろん、「この馬鹿野郎、ハワイでもリクルートスーツが正装だ!!」とポリシーを持っている場合はそれで全く問題無いのですが、普段あまりそういう方に出会ったことが無いもので・・・。
 
 ラフな格好でもいいじゃない。ジーンズにちょっと襟がついたシャツでも着りゃあ。もちろん、襟などついていなくてもいい。次回、ポスター発表は問答無用で全員アロハなんてどうでしょう? アロハ着て、中身のある、面白い、最先端の議論をしたらいい。アロハな気分で、楽しい議論ができるでしょう。
 
 次回のハワイでの国際会議は4年後の2020年。アロハで発表したいと思います。アロハを着て中身のある発表するために、面白い、最先端の研究に挑戦したいと思います。
 

帰りの飛行機から見えた国際会議場周辺

北海道に工場を!

 北海道の人口が去年1年間で3万人以上も減少して537万人になってしまいました。自然減(死亡数と出生数の差)が多いのですが、社会減(住居の移動)も相当ありますので、こりゃあ何とかしないといけません。しかしながら、何とかしなきゃと言いましても、働いてご飯を食べていけるだけの就職先が無いと北海道外に出て行くしか選択肢が無くなります。
 
 菊地が所属している学部は工学部ですので、「ものづくり」を行う工業系が就職先の主体ですが、北海道内には工業系の企業が極めて少なく、研究指導している学生の就職先は見事に全員北海道外です。東京、大阪、愛知、大分、愛媛、茨城、広島・・・。菊地は悲しいです。そんなわけで、卒業生が研究室に遊びに来ると、いつも次のように言っています。
 菊地:北海道に工場作れ!
 卒業生:ははははは(ご冗談を)。
 
 今のところ卒業生達は北海道に工場を作ってくれません。って、そんな大きな権限のある年齢になっていないし、そりゃ無理か。でもいつか、作ってちょうだいよ。
 
北海道は遠いって? 中国や東南アジアよりもかなり近いでしょ! 新千歳空港に北海道新幹線、バッチリです。環境も最高じゃありませんか。
冬寒いって? 夏は涼しいから大丈夫! 世界を制するのは逆転の発想です。
まわりに相談先が無い? 北海道大学があるじゃありませんか! 最先端の難解な学術研究ばっかりやっていないで、企業様にも貢献いたします。貢献したいので、北海道に工場作って下さい。

 
 というわけで卒業生各位、北海道にどーんと工場を作りなさい。

試料の気持ち

 最近、ちょいと入院して手術をしました。人生で初めての経験なのですが、まずは体の正しい状況を確認するために、いろいろと検査をしなければなりません。研究と同じですね。「試料」の状態を正しく理解しないと。というわけで、入院した際に「試料」に相当するのは入院患者の「菊地竜也」です。
 
 血液検査や尿検査の検査結果は後日伺うのが当たり前でしたが、今はすぐに検査結果が出て来るのでびっくりします。昔は時間がかかり、しかも大変面倒だった各種検査機器も随分と進化しています。CT(コンピュータ断層撮影)なんて機器名が「64列マルチスライスCT」、もう名前を見るだけで凄そうです。いろいろな配線に繋がれて、患者台(試料台?)に仰向けで寝て、「うぃーん」と測定部に移動して断層撮影、完全に試料の気持ちになれます。この調べられてる感がたまりません。X線(レントゲン)も随分くっきり見えますし、エコーもよくわかるし、技術の進歩はたいしたもんです。海外のメーカー製が多いことが少し残念ですが・・・。
 
 菊地が日頃から行っている研究活動も、電子線分析装置やX線を用いて試料の微細な構造を深く理解することから始まります。病院の検査とよく似ているなあと感じたわけですが、1つ、大きく違う点があります。私どもが使っている研究試料はアルミニウムだったり、チタンだったり、タングステンだったり、あるいはそれらの化合物だったりと、無機化合物ばかりです。たとえ試料の前処理に失敗しても、あるいは分析に失敗しても、「あーあ、失敗しちゃった、次うまくやろう、ポイ」と試料君はゴミ箱直行です。でも病院ではそうはいきません。「人様」を扱っているわけですから、責任重大です。ああ、お医者さんはスゴイ。と同時に、なぜか自分の試料に対する扱いが恥ずかしくなってきました。考え過ぎかなあ? 試料君、ごめん、これからはもっと丁寧に扱うよ。許しておくれ。
 
  ゴミ箱に捨てた試料を学生が拾って、もう一度電子顕微鏡観察し直し、丁寧に丁寧に評価したところ、新しい発見があったことがあります。この発見をスタートとして新研究テーマが立ち上がり、たくさんの研究論文を公表でき、今もさらに発展中です。
 
 あらためて、やっぱり試料は大切に扱うべきですね。よく見ると、見えていなかったものが見えてくる。試料君と仲良くすると、そこに新しい発見のチャンスがたくさん待っているのかもしれません。

センター試験改革! むむむ・・・

 センター試験が2020年度より新しく生まれ変わる計画です。最近、文部科学省が新テストの問題例を公表しました。菊地は高専卒業生なのでセンター試験を受験したことが無いのですが、どのような改革なのか大学教員として大変気になりますので、見てみますと、
 
「解答するために、多数のデータから情報を選ぶことや、組み合わせによって正答が複数ある点が現行とは異なるという(朝日新聞2016年2月18日)」
「大学新テスト採点で人工知能Alの導入を検討 文科省が最終報告案に明記へ(産経新聞2016年3月7日)」
 
 むむむむむ・・・・・、これは・・・・・、正直言って、止めた方がよろしいんじゃないですかね・・・。
 
 いや、わかります。要するに、「何か改革しないと、予算付けてやらんぞ。ジリ貧だ。自己評価しろ、変更しろ、改善しろ、とにかく何かやれ、やることは自分で考えろ」って言われているわけでしょう。でもね、ただただややこやしく問題のための問題になりそうな複数正答の試験作ったって、たいした改革にならんでしょ。人工知能の導入なんて、危ない感じがぷんぷんします。人工知能的に優れた人材を育成したいのですか、日本は? 私は違います。
 
 本当に改革したいのなら、「センター試験なんざ廃止だ!」くらい言ったらどうでしょうか。過激過ぎますか。すみません。
 
 その昔、「史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ」ってのがありました。成田空港からグアムに行く飛行機の中で「機内400問ペーパークイズ」ってのをやるんです。全部三択。で、そのクイズの正答率が上位だったらグアムに上陸できる。下位だったらグアムの地を踏むこと無く強制帰国。センター試験も何か似たような感じがして、ブラックジョークというか、考えさせられるものがあります。昔から思っているのですが、センター試験や公務員試験、TOEIC、その他類似するあの試験形式、全く面白く無いですよね。つまらない。
 
 真っ白なキャンバスに、自由に解答させてあげたら良いのに。

ノーベル賞の宴のあとで

 2015年もノーベル賞を日本人が受賞したことは大変喜ばしいことです(ノーベル物理学賞:梶田隆章先生(東大)、ノーベル医学・生理学賞:大村智先生(北里大))。その昔は日本人がノーベル賞を受賞するなんて10年に1度くらいの一大イベントでしたが、最近はノーベル賞を身近に感じることができるようになりました。まさに、日本の研究者達の努力の賜物です。我が北大でも2010年に鈴木章先生(有機合成化学、鈴木-宮浦クロスカップリング)がノーベル化学賞を受賞されましたが、おお母校からもノーベル賞が出た!と大喜びしたことを今でも覚えています。
 
 今後もしばらくは日本人の研究者がノーベル賞を受賞することは間違いありません。しかし、その後はどうなるのでしょうか。かなり心配になるデータがあります。図1は、2000年を基準にして、世界、日本および北大の論文数の比率がどのように変化しているのかを示したグラフです(トムソン・ロイターのWeb of Scienceを用いて分析しました)。世界の論文は、一直線に増加しています。同じ傾きを持って、どんどん論文数が増えているのです。ところが、日本の論文は、明らかに停滞しています。一直線の停滞?とでも言いましょうか。 北大の論文は、日本全体に比べると少し多いですが、ほぼ同じような低い傾向を示しています。すなわち、世界と日本の方向が異なり、日本はどんどん取り残されているのです。これはもう、数字に裏打ちされた厳然たる事実で、否定のしようがありません。
 

図1 2000年を基準にした論文数の比率

 
 図2は、国別の論文数の比を示しています。中国や韓国は、2000年から5年くらいで論文数が倍になりました。イタリアやカナダも現在はほぼ2倍です。もともと論文数の多かったドイツやフランス、アメリカも、着実に論文数を伸ばしています。日本だけなのです、例外は。日本がおいてけぼりにされているのです。2000年以降の自然科学系ノーベル賞を、アメリカに次いで受賞している日本が!
 

図2 国別の論文数の比率

 
 2000年以降、インターネットの普及によって学術論文の投稿がとても便利になりました。昔は手書き・タイプライター・ワープロで執筆し、図はロットリング、Air Mail(航空便)で投稿してどんなに短くても半年、あるいは1年・2年以上の時間をかけて論文として世の中に発表されていたものが、今は目の前のパソコン1台で全て完結します。地球の裏側にそれこそ光速で送信できます。便利な世の中になりました。実験器具だって、分析機器だって、どんどん便利になっていきます。研究しやすい環境に進歩しています。従って、世界の論文数はどんどん増えていきます。当たり前ですよね、便利になっているのだから。
 
 ただ、日本だけが、違う。日本だけが、不便なのか? いや、むしろ、恵まれている方でしょう。いったい、日本に何が起きているのか? 2つのグラフは、「日本の大学のみ」が研究論文を増やせない環境に陥っていることの証左に他なりません。日本の大学は、「研究して、論文を執筆し、世の中に発表すること」ができない環境になりつつあるのです。
 
 具体的な提案は次回以降に述べたいと思いますが、「研究と教育」に専念できなくなりつつある今の日本の大学は、非常に大きな問題があります。2000年以降の学術論文数の差は、2020年、2030年、2040年の日本の国際競争力に間違い無く跳ね返ってきます。今は、紛れも無く、本当の「正念場」です。

元素コレクター

 その昔、キン肉マン消しゴム(キン消し)ってのが小学生の間で大ブームになりました。漫画「キン肉マン」に登場する超人のゴム製人形を「ガチャガチャ」で買ってコレクションしていくのです。七人の悪魔超人で最後まで入手できなかったスプリングマン(バネの超人)の、しかも柔らかいゴム製特別バージョンが手に入った日には、そりゃあもう、嬉しかったってもんじゃありません。手に入れるまで大枚はたきました。というのが30年くらい前です。なんだったんだ、あれ。
 
 今、仕事柄、高校生や大学生に研究紹介を行うことが多いのですが、私が所属する学科は高校の化学で習った「周期表」が1つのベースになっています。「すい、へー、りー、べー」と覚えた、あの元素の羅列です。最初は文献から拝借してきた写真などで紹介していたのですが、数年前にキン消しのコレクター魂が強烈に蘇り、「実物全部集めてやる!」ってんで、可能な限りの元素を収集して展示することにしました(写真)。元素のオリジナルプラカードまで自分でデザイン・作製してしまいまして。「元素博物館」と命名しています。
 
 元素の実物をよく観察すると、これがなかなかおもしろいのです。とてもきれいな元素、ずっしり重い・やたらと軽い元素、危険そうな元素、使い道がほとんど無いマニアックな元素・・・。元素博物館は高校生や大学生に大変喜ばれます。学生どころか、別の学科の教授、事務職員、学部長、たまたま来室した企業の方などなど、皆さん興味深く見学されていかれます。まさにコレクション冥利に尽きるというものです。みなさんもぜひ、何かをコレクションしてミニ博物館を作ってみてはいかがでしょうか。
 

元素くんたち大集合

8月! 採用選考解禁! って何かおかしくないか

 本日8月1日は、来春卒業する学生の採用選考の解禁日です。ついにやってまいりました! 2016年4月採用予定の学生の選考は、政府の要請により昨年までよりも4ヶ月遅くなったのです。この措置によって、学生が講義を欠席すること無く安心して勉学に打ち込め、かつ公平に就職活動ができるようになりました。
 っていうことらしいのですが、そうですかね?????
 
○ただ単に、就職活動期間が長くなっただけ。
○就活終われハラスメント(オワハラ)など、新たな問題がでてきた。
○解禁日が遅くなり、みんな不安。万が一落ちてしまったら、時期的にリカバリーがきかないかも・・・。
○そもそも、本当に解禁日が守られているのか?

 
 近年、「改革」「国際化」の名の下に、いろいろな制度変更が行われていますが、はっきり言ってしまって、改善された例があまり無いように感じます。むしろ、「後退」。大本営発表で「転進」。いや、転進して改善するならいいのだけれど、「改革」や「国際化」に付随してよけいな仕事(意味の無い書類作成、無駄な会議に出張、作業の重複・三重複)が増えに増え、まさに日本国全体の生産効率はあらゆるところでどんどん落ちています。
 
 菊地の提案なのですが、政府およびその関連団体は、よけいな制度変更をせず、むしろ現状をさらに単純化・簡略化・平易化することで日本の生産効率の向上を図ってはいかがでしょうか。制度を全て、簡単に、簡単に、できるだけ、簡単に。そうすれば、みんなが落ち着いて、安心して、これまでの経験を生かしつつ、時間がとれることによって新しい概念・発想を考案しながら、仕事に励むことができる。
 
 今の日本は、はっきり言って変わり過ぎ・変え過ぎ。非効率。安心できない。そして、制度変更によって「する必要性の少ない(または全く無い)仕事が増え、それが故にみんなが疲弊している社会になっている」ように感じるのです。

大学祭の意義

 ある大学の大学祭が中止されたそうです。領収書などの必要書類の添付漏れが主な理由だそうですが、よくよく見ていくと、大学祭の内容について教職員が従来から疑問を持っており、「本来は研究に関わる企画や地域との交流を考えるべき」「教職員と学生で話し合い、新しい大学祭の形を考えたい」ことが本心のようです。
 
 器が小さくありませんか・・・。しかも、研究で交流とか話が堅い・・・。「祭り」の対極、はるか彼方の地平線。大学祭くらい、学生に自由にやらせてあげればいいじゃない・・・。
 
 私が学部の文化祭を担当したときも、会議の議論は「金魚すくいが企画されているが、金魚すくいは大学祭にふさわしいのか?」なんてお堅い話ばかりでした。あまりに会議がつまらなかったので挙手して、
「昨年までの金魚すくい、水槽の中には金魚しかいなかったのがとても残念です。やっぱり金魚すくいにはデメキンが必要です。ぜひ大物のデメキンをお願いします!」
てな感じでビシッと発言しました。意義うんぬん言ってた方々は、かなり引いていましたが。後で聞いた話では、デメキンは普通の金魚より価格が3倍くらい高いのだそうですが、事務の方がデメキンを用意してくれていて、大きな水槽にデメキンが泳いでいました。それにしても、デメキンをすくうのは難しいですね・・・。

 
 大学祭は学生のお祭りなのですから、ルールの範囲内で学生に自由にやらせればいいじゃないですか。大学祭に教員が口を出したって、ロクなことになりゃしない。研究で交流したいんだったら、別の機会がいくらでもあるでしょう。大学祭くらい、場所と最低限の金は出してあげて、「ルールを守ればあとは自由にやって良し、責任は我々が取るから盛大にやれ」と言えば良いでしょう。学際的じゃなくても良し。意義なんてあっても無くても結構。それが、祭りってもんでしょう。

 
 毎年恒例の函館港まつりで、「いか踊り」ってのがあります。みんなで「いかポッポ」って言って踊るんです。意義なんて考えて踊りますか? そういう面倒くさい話は、祭りに一番似合わない。粋じゃない。
 
 みんなで踊って、みんなで楽しめりゃ、祭りは大成功じゃない。年に1回の祭り、楽しくやらせてあげましょうよ。

自らの意思と責任において奨学金の申込みができる?

 大学生や大学院生の多くが、日本学生支援機構の奨学金の貸与を受けて勉学・研究を行っています。その昔は日本育英会という名称でした。「奨学金」なのに「貸与」というこの不思議、これは「奨学金」では無くただの「教育ローン」じゃないか、と昔から思っていましたが、最近その思いがより一層強くなりました。
 
 その昔は、所得倍増計画、高度経済成長で、10年を待たずして収入が倍になった華やかな時代、奨学金の返済はそれほど、あるいは全く苦にならなかったでしょう。まさに20世紀の資本、経済成長率(g)>>>奨学金の利率(s)なのだから。しかし、今現在は悲しいかなデフレ・低成長時代です。いくら利息無し、あるいは低利息と言ったって、それ以上に収入が下がっていくのですから、何百万円もの奨学金を返済するのは大変なことです。改良版21世紀の資本によれば、経済成長率(g)<奨学金の利率(s)。ピケティとは異なり、感覚で数式にしただけですが。そのような訳で、私は事ある毎に「日本国は日本人の若い学生達にもっと投資しろ!!」と訴えているのですが、訴える力が無いのか何なのか、こだまが反響するばかりです。「奨学金」は「教育ローン」のままです。
 
 ところが先日、学生と最近の奨学金の話をしていたら、驚きました。貸与を受けている奨学金の中から、「保証料」として月々数千円を支払っているとのこと。通常、奨学金貸与には保証人や連帯保証人が必要なのですが、一定の保証料を支払う(機関保証)ことで、保証人が不要になる制度が出来たのだそうです。日本学生支援機構のパンフレットには、「奨学金には機関保証制度のご利用を」と謳われています。表題にあるように、「自らの意思と責任において奨学金を申込みできる」のだそうです。
 
 あのね・・・。もう日本語が意味不明で、かつ支離滅裂です。
 
 教育ローンどころか、加えて保証金まで支払わせるとは、何が「奨学金」でしょうか。保証料は大学院修士課程(第1種)で1,785〜3,593円(概算すると3.5〜4.0%)、保証機関である「日本国際教育支援協会」に毎月支払うのだとか。これはあまりにもひどい。今は、住宅ローン(民間銀行のローンですよ)だって保証料0円がある時代ですよ。「奨学金」とは名ばかりの「教育ローン」で、さらにそこから高利の保証料まで取るとは、学生はもっともっと怒って良い! 私も怒る!
 
 貸与ならば、名称を「教育ローン」にすれば良い。「奨学金」などと名乗ってはいけない。「保証料」など取るんじゃない。誰だ、こんなことを考える輩は。日本は、もっともっと日本の若者に投資すべきである。その先に、日本の未来がある。
 
 「教育ローン」は国の投資では無い。それはただ借金を奨励しているだけだ。「奨学金」こそが投資である。本当の投資に基づいた支援と教育をしませんか、「日本学生支援機構」と「日本国際教育支援協会」、そして我が愛する日本。

東大の留学生が7割入学辞退

 受験も講義も全て英語で行い、卒業まで全て英語で完結する東京大学教養学部の外国人留学生英語コースで、2014年度合格者の7割が東大を蹴っ飛ばして外国の有力大学に進学したのだそうです。文部科学省が大学の国際化を進めている中で、東大すら滑り止めにされている現実に関係者はショックを受けており、改革を模索しているとのこと。
 
 文部科学省や大学関係者としてはショックなのでしょうが・・・、でもね、これは当然の現実なのでは無いでしょうか。落ち着くところに落ち着いている。摩訶不思議いっさい無し。水は流れやすきへ流れる。
 
 例えば、私やあなたがある「X国」の教育に携わる官僚だったとします。このたび幸運にも、日本国文部科学省、アメリカ合衆国教育省またはイギリス連合王国教育省のいずれかに留学するチャンスを得ました。どちらに留学しましょうか? って、そりゃあ、内容や金銭的負担にもよるでしょうが、アメリカかイギリスの教育省に行くよね、大多数は。
 
 「英語で講義すれば留学生がたくさん集まって、国際化して、大学ランキングが上昇して・・・」 今、日本の多くの大学が夢見る大きな目標です。果たして、それは重要なことでしょうか。いや、そもそも実現可能なことでしょうか。英語で最先端の講義を聞きたい、議論したいのだったら、アメリカかイギリスかオーストラリアか、英語圏の大学に行きませんかね? 行けなかった学生が、次善の策で、仕方が無く、悔しいけれど、奨学金くれるのだったら、日本に来る。そういうものでしょう。
 
 目指すところを大学ランキングにしてはいけない。そこの頂上を目指しても、山頂からの雄大な景色を眺めることはできない。非英語圏だけの未踏峰。英語圏の母国語は英語であり、我々の1京倍の英語力がある。京速計算機、スーパーコンピューターだ。しかも、この大学ランキングは彼らが作っているときたもんだ。スーパーコンピューター自らが自在に操れる。そんな手前味噌ランキングを目標にしても、つまらないじゃないですか。第一、大学ランキング向上を第一の優先課題とする大学に、優秀な人材が進学しようはずが無い。
 
 大学の研究者は、自身の信念に基づき、学生とともに世界と勝負する研究を行い、独創的な研究論文を世に送り出す。これ以外に路はあり得ない。抽象的だが、しかし真理。万世不朽。大学人の皆が誠実に努力し、研鑽し、教育と研究を行えば、自然に大学ランキングは上昇する。留学生もやって来る。ここで学びたい。ここで成長したい。そう思う学生が増えてくる。しかし、それらはたゆまぬ努力に対する結果であって、決して目的であってはならない。
 
 お互いは、不朽の真実を見誤ること無く、歩み続けたい。