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多彩な面々による、
工学研究的フリートーク。

VOICE

寛容性がつなぐ伝統

豊橋技術科学大学
大学院工学研究科
機械工学系
教授 中村 祐二

[PROFILE]

大学卒業以降の履歴(学歴・職歴)

1995年4月~
1998年3月
名古屋大学大学院工学研究科博士課程後期課程機械情報システム工学専攻
(1998年3月 単位取得退学、 2000年2月博士(工学)(名古屋大学))
1998年4月
名古屋大学大学院工学研究科 助手
2003年4月
名古屋大学理工科学総合研究センター 講師
2004年4月
名古屋大学エコトピア科学研究機構 講師
2005年1月
北海道大学大学院工学研究科 助教授
2007年4月
北海道大学大学院工学研究科 准教授
2010年4月
北海道大学大学院工学研究院 准教授
2014年4月
豊橋技術科学大学大学院工学研究科 准教授
2017年10月
現職

この間、1996年9月〜1997年9月 ケンタッキー大学(アメリカ)客員研究員、2000年3月〜2001年7月 アメリカ商務省国立標準技術研究所(NIST)招聘博士研究員、2010年6月〜2011年3月 カリフォルニア大学サンディエゴ校機械航空学科(アメリカ)在外研究員、2013年〜現在 東京理科大学火災科学研究センター 客員准教授を兼務

世界有数の立地環境

北海道大学には、2005年、34歳の時に当時学科で最年少の助教授として採用されてから、9年間お世話になりました。国内有数の広大なキャンパスを持ち、主要駅から徒歩数分の位置にある大学は、世界広しといえども少ないです。雄大さがもたらすおおらかさが特徴の北海道大学に着任した時、学内に広がる芝生、木陰下のベンチを見ながら「ここで寝そべって本や論文を読む生活が始まるのだ」と妄想に胸を躍らせました。9年間一度も実現することなく離職したことは、今も心残りです。

寛容性

親類縁者のいない不慣れな土地でのスタートでしたが、その分、何の束縛もしがらみも無い自由なスタートでもありました。着任して程なく、茶髪で白衣というスタイルが定着し、教壇に立ってなければ単なるヤンキー、実験室にいればマッドサイエンティストという、いわゆる「キワモノ教員」であった自分を、皆おおらかな目で見守ってくれました。今も寮生で紋付き袴、下駄を鳴らせて闊歩する学生がいるが、そういう姿すら個性としてくれるところは少なく、これが北海道大学の特徴である「寛容性」であると思います。

伝統は単に「守る」だけのものではない

その寛容性と相入れないと思われるものに「伝統」があります。私自身、海外を含めて8つの研究組織に属した経験がありますが、中でも北海道大学は典型的な保守路線(コンサバ)に属すると思います。よく言えば質実剛健、悪く言えば融通が利かず、このおかげで悩まされることが多々ありましたが、幸いなことに、一つ大事なことを学ぶ機会を得ました。それは、伝統とは受け継ぐものではあるが、いたずらに守るだけのものではないという教えです。

工学部機械系の伝統名物と言えば、製図と綱引きでした(これを知らない北大生は北大生ではない)。その名物講義である製図を担当するようになってから程なく、長年当講義担当であった野口徹教授がご退職なされ、跡を継ぐ立場になった時、紙媒体や電子媒体の資料は一切なく、想いだけが語られ「後はよろしく頼む」と手を強く握られました。この後、「基本思想を受け継ぎ、時代に合わせてゆく」難しさを知りました。やり方(技術)ではなく、思想を受け継ぎ、守る。野口先生は自ら「保守ではない守り方」を、わざわざ他大学出身者でありキワモノ教員であった私に身をもって教え、育ててくださったのです。大変勉強になりました。

これからの時代を築くのは君だ

伝統は大事ですが、そのまま守り続けるだけでは未来はありません。思想を受け継ぐ者として、「これから自分が新しい伝統を作るのだ」という覚悟と責任を持つキワモノで、我こそはと思う人がいたら、是非チャレンジしてほしいと思います。来たれ、未来のキワモノ若人よ。

豊橋技術科学大学でのゼミの様子(中央白衣が筆者)
製図で提出された図面をTA達と見比べている一幕