騒音問題の解決
騒音とは
私たちは,様々な音に囲まれて生活しています。 音には様々な種類(たとえば音声・音楽・自然音)がありますが,いずれも空気を伝わる小さな振動です。 音のうち,「望ましくない音」のことは「騒音」と呼ばれますが,主観的・感覚的に音を分類したものに過ぎません。
騒音が主観的・感覚的に決められるものであるため,騒音による環境問題も,単なる主観の問題とされることが少なくありません。 「感覚公害」と呼ばれることもあります。 しかし,騒音による影響は感覚的・心理的なものに留まりません。 たとえば,「音で目が覚める」ことは私たちの誰もが知っていますが,騒音による度重なる睡眠妨害は「環境性睡眠障害」という疾患に分類されます。 良い睡眠が健康維持に欠かせないこともまた常識であり,実際に,騒音と高血圧・虚血性心疾患・脳卒中・糖尿病,等の様々な健康影響が関連することが近年の科学的調査・研究で明らかとなっています。
騒音による健康リスクは,きわめて大きいにもかかわらず無視・放置されていることがあります。 また,多くの住民による苦情や裁判といったかたちで問題が顕在化していることもあります。 私たちは,騒音による健康リスクの評価・予測・低減に関する研究を通じて,騒音による潜在的・顕在的な問題の解決を目指しています。
音や騒音を素材として研究を行っているグループは国内外に多くありますが,公衆衛生学や疫学の観点から騒音を研究しているケースはきわめて稀です。 私たちは,環境問題としての騒音に対して,公衆衛生学や疫学の視点からアプローチし,騒音による健康影響の評価・予測・低減に取り組んでいます。 なお,環境騒音による健康影響について,保健の科学64巻10月号https://www.kyorin-shoin.co.jp/book/b10079374.htmlにて,田鎖が解説記事を執筆しています。
交通騒音による健康リスク
自動車・鉄道・航空機等より発せられる音は交通騒音と呼ばれます。 交通騒音と健康影響の関連性について,実験的研究および疫学研究が多数行われ,世界保健機関(WHO)等がその結果をまとめて公表しています。 主なものでは,以下のような文書が発表されています(いずれも英文)。
- WHO:環境騒音ガイドライン
- WHO欧州地域事務局:欧州環境騒音ガイドライン
- 国連環境計画(UNEP):Frontiers 2022: Noise, Blazes and Mismatches
WHO欧州地域事務局による「欧州環境騒音ガイドライン」によれば,自動車騒音の夜間の平均レベルが45dBのときに約3%の住民が軽度の睡眠障害である,と結論付けています。 また,日中の騒音レベルが53dBを超えると虚血性心疾患(心筋梗塞)のリスクが増大し始め,59dBでリスクの上昇は5%に達すると推定されています。
欧州では,既に,市街地・幹線道路・空港周辺での交通騒音は「騒音マップ」として可視化が義務付けられ( The NOISE Observation & Information Service for Europe ),行政にはこれに基づく騒音低減政策の実施が求められています。 欧州全体(人口約5.3億人)では,騒音によるリスクの増大で説明できる死亡数は年間12000人に達すると推定されています。
自動車騒音による健康リスクを日本の状況に当てはめると,毎年,約2000人が死亡していると推定されます(北大プレスリリース:道路騒音による全国の健康リスクを推定 )。 この死亡リスクは,結核やぜん息と同程度であり,無視できる水準ではありません。 また,健康影響は道路沿道の住民に集中しており,これらの住民に限ってみれば,健康リスクは数倍~数十倍となります。 残念ながら,日本では,このリスクは十分に検討されることのないまま無視されてきたのが現状です。
風車騒音による健康リスク
「持続可能」な社会のために,私たちはエネルギー源の根本的な見直しを求められています。 そして,太陽光・風力・バイオマス・地熱,等の再生可能なエネルギーの導入が進んでいます。
風力発電は,言うまでもなく,将来的に有望な電源のひとつです。 しかし,発電用風車の運転時に音が発生することは避けられません。 風車の音は交通騒音と比較すると比較的静かですが,近年,世界各地で風車近傍の健康影響が報告されるとともに,風車騒音による健康影響に注目が集まる様になりました。 風車騒音では比較的周波数の低い成分(低周波音:100Hz以下や200Hz以下などの音を指す)が卓越しており,低周波音による健康影響にも注目が集まっています。
残念ながら,風車騒音による健康影響に関しては,科学的知見は現時点で十分に得られておらず,信頼性の高いリスク予測は困難です。 しかし,(国内を含む)世界各地で風車近傍の健康影響が報告されていることは事実です。 全国各地で風力発電導入計画が進む中,科学的不確かさや「予防原則」を踏まえたリスク評価・コミュニケーションが重要です。
どのようにして問題にアプローチするか
騒音の測定・予測
騒音の測定はきわめて簡単で,騒音計を設置してスイッチを入れるだけです。 しかし,環境騒音の測定では,長時間連続して測定することが重要となるため,無人で測定するシステムの開発が必要となります。 また,騒音の「レベル」だけでは,何の音が測定されているのかが不明であり,たとえば車の音を測定するつもりが虫の音を測定していた,ということにもなりかねません。 そのため,測定したい物の特性に合わせて,周辺環境の情報を同時に取得し,必要なものが取り出せるように工夫して,騒音を測定しています。
また,騒音はきわめて局所的であり,一歩動けば音の大きさが大きく変わることがあります。 音の大きさを空間的に把握するという目的では,音源および伝搬を特定した上で予測計算を行うことが有効です。 予測計算はまた,将来の音の変化を評価することも可能であり,騒音の問題解決には不可欠です。
騒音予測において,私たちは,騒音の予測プログラムNoiseModellinghttps://noise-planet.org/noisemodelling.htmlと地理空間情報を連携させるシステムを開発したり(H-RISK with NoiseModelling https://gitlab.com/jtagusari/hrisk-noisemodelling),地理空間情報システム上で風車騒音の予測を行うソフトウェアを開発したり(H-RISK for Wind turbine noise https://gitlab.com/jtagusari/hrisk-wtn),またこれらを活用して騒音予測を行ったりしています。
地理空間情報の活用
騒音問題は,詰まるところ,音源と聴取者の位置関係がきわめて重要となります。 また,音の伝搬特性を考えると,伝搬経路における家屋や遮音壁などの障害物も重要です。 そのため,実際の環境における騒音の問題に取り組む上で地理空間情報は不可欠であり,私たちはこれの活用を積極的に行っています。
上記の騒音予測システムの開発において地理空間情報を活用しているのはもちろんのこと,近年利用可能になった詳細な測量成果「3次元点群」を活用して,騒音の伝搬予測に必要な情報である建物や障害物の形状を正確に取得し,騒音の伝搬特性をより正確に予測する研究も行っています。
疫学的アプローチ
騒音による健康影響の評価には,疫学的アプローチが不可欠です。 住民の健康状態を何らかの方法で測定し,また騒音との関連性を解明するために統計解析を行います。
健康状態は,アンケートを使って調査することがほとんどです。 多くの回答を集め,また様々な質問と回答を組み合わせることによって,健康状態を左右するさまざまな要因について統計学的に調整し,騒音による影響を評価します。
ただし,アンケートへの回答は主観的であることを逃れられません。 騒音による健康影響を考える際には主観的な影響こそが本質的ということも少なくないですが,客観的な指標を用いることもまた重要であり,睡眠妨害などの測定の際にはセンサーを用いることもあります。 センサーから時系列で得られる情報と騒音の時系列情報を対置し,騒音による影響を評価します。
また,他の研究プロジェクトから健康データの提供を受け,それを解析することもあります。 田鎖は北海道大学環境健康科学研究教育センターの兼務教員にもなっており,環境と子どもの健康に関するモニタリング調査「北海道スタディ」https://www.cehs.hokudai.ac.jp/hokkaidostudy/researchや子どもの健康と環境に関する全国調査「エコチル調査」https://www.env.go.jp/chemi/ceh/における小プロジェクトで騒音による影響評価に取り組んでいます。