「鈴木カップリング」 宮浦 憲夫先生インタビュー

北の大地で熟成された英知、人々の暮らしに届く「鈴木カップリング」

宮浦 憲夫先生

「鈴木─宮浦カップリング」としても知られる画期的なクロスカップリング反応。鈴木先生とともに日夜研究に励んだ宮浦憲夫先生に 受賞の喜びや鈴木先生の人となりをうかがいました。

北海道大学大学院
工学研究院特任教授

宮浦 憲夫
[PROFILE]
1969年北大工学部合成化学工学科卒、71年に同大学院修了。その後、同科助手となり、鈴木章先生の下で研究を続ける。鈴木先生が停年退官した94年に教授に昇任。2010年に定年退職。日本化学会賞(08年)、科学技術賞(10年)受賞。北海道岩見沢市出身。

3年越しのブレイクスルーを達成
他をしのぐ実用性の高さで世界から注目

—初めに、鈴木章先生ノーベル化学賞受賞の朗報を聞いた時のお気持ちからお聞かせください。

宮浦 喜び、そして安堵の気持ちが同時に押し寄せてきました。1979年に発表された「鈴木カップリング」が、この30年間にどれだけ世界を変えてきたことか。欧米では"20世紀最後の偉業"とも讃えられてきた業績が、ついにノーベル化学賞受賞という最高の形で世界に認められました。記者会見で鈴木先生の笑顔を拝見することができ、ともに研究に携わってきた私も先生と一緒に肩の荷を下ろした心境です。

鈴木カップリング反応の誕生

—お二人の出会いはいつだったのでしょうか。

宮浦 私が北海道大学工学部3年生の時に鈴木先生の講義を受けました。有機化学を理論から丁寧に説明してくださった授業内容に惹かれて先生の部屋を訪ねるようになり、そのまま先生の研究室へと進みました。当時鈴木先生は有機ホウ素化合物研究の第一人者、アメリカのパデュー大学におられるハーバート・ブラウン教授のもとから帰国されたばかり。有機ホウ素化合物の合成と利用をさらに推し進める研究に、学生たちも一丸となって取り組んでいました。

北大工学部教授時代、学内で講義する鈴木先生(1979年)
▲北大工学部教授時代、学内で講義する鈴木先生
(1979年)

—私たちの暮らしは元をたどるとさまざまな有機化合物から成り立っています。それも「異なる有機分子をつなぎ合わせる」ことで実現できた技術が、多彩な分野において活用されています。こうした豊かな現代社会を可能にした鈴木カップリングの特徴を教えてください。

宮浦 まず第一点は、非金属元素であるホウ素化合物を用いたことにあります。従来のクロスカップリング研究ではマグネシウムなどの金属化合物を使用していたため、空気に触れると発火する、あるいは水中で壊れる、有毒な副産物が生まれるなどのリスクとなる要素が多かった。ですが、非金属元素のホウ素化合物である有機ボロン酸を使えば空気や水にも安定で無害、取り扱いが容易になる。この"誰もが容易に使えること"は社会での実用性や利便性を考えると実に大事なことなのです。

芳香族ボロン酸のカップリング反応

—ところが、その有機ボロン酸の安定性が新たな壁になったとか。

宮浦 安定で取り扱いやすい反面、化学的には不活性で合成反応には使いにくい。では、反応を起こさせるためにはどうすればいいのか。その答えが、鈴木カップリング第二の特徴であるパラジウム触媒に塩基の水溶液を入れることでした。当時はまだクロスカップリングには"無水条件が大前提"とされた時代でした。水を入れることにためらいを覚えたことを思い出します。この「反応しづらい」壁にぶつかってからはまったく先が見えない状態が3年間も続いていた。皆、暗闇の中をうごめくような思いでしたが、思いきって塩基水溶液を入れてみたところ、これが面白いように上手くいった。ついに暗闇を脱け出し、ブレイクスルーを達成した瞬間でした。そこからはもう毎日が楽しかったですね。希望どおりの化合物ができるかどうかのレベルから、ほぼ100%できる方法が得られたのです。「明日はどんな条件で実験をしようか」と研究室に行くのが待ちきれない思いでした。

—そして1979年、「パラジウム触媒と塩基存在下において有機ボロン酸が有機ハロゲン化物とクロスカップリング反応を行うこと」、通称「鈴木カップリング」を世界に先駆けて発表されました。

宮浦 鈴木カップリングへの注目はボロン酸研究の先進地であるドイツのマックス・プランク研究所を皮切りに欧米から広まり、やがては有機合成化学や触媒化学などの各学会からも高い評価をいただくようになりました。現在は、年間1トン製造されているアメリカ・メルク社の血圧降下剤や、ドイツ・BASFの野菜の殺菌剤など、いずれも鈴木カップリングを用いた製造法が医薬・農薬分野で活用されています。皆さんの生活に身近な液晶の製造も鈴木カップリングがなしえた技術の一つです。次世代発光材料として注目を集める有機EL材料の開発にも応用されています。

緑のキャンパスで心身を育み、
オリジナルの研究に勤しむ理想の環境

—30年前に発表した研究成果が世紀をまたいだ現在も活用されています。発表当時は想像もされなかったのではないでしょうか。

宮浦 同じクロスカップリング反応の研究者である京都大学の檜山為次郎先生が、以前私にこういう事をおっしゃいました。「鈴木カップリングは北の大地で熟成されたワインだ」と。実に言い得て妙だと、今も深く記憶に残っています。こういう息の長い研究は、短期間で業績を求められるせわしない環境下で育むことは難しい。ゆったりと時が流れる北海道大学だからこそ「熟成」できたものだと確信しています。

—鈴木先生は研究生活での息抜きもお上手だったとか。

宮浦 研究というのは、うまくいかない時間のほうが圧倒的に長いものです。もちろん鈴木カップリングも例外ではなく、ホウ素化合物や触媒、溶媒、塩基の組み合わせに加えて、反応温度というさまざまな因子が絡み合ったトライ・アンド・エラーの繰り返し。実験室の目の前では透明なフラスコの中に透明な液体が回っているだけで、中で何が起きているかがまるでわからない。そういう状態が延々と続く研究生活の"真の姿"を鈴木先生は心得ていらっしゃったのだと思います。学生とのコンパには夜を徹してつきあってくださいましたね。ご本人もお酒が強くて、近くに座った学生は少しでも杯が空くとすかさず日本酒をつがれてしまう(笑)。「桜が咲いたから」「OBが遊びに来たから」と理由を見つけては皆でジンギスカンパーティーをしたりして、いい息抜きをさせてもらいました。

合成化学工学科有機合成化学講座ジンギスカンパーティ(1972年頃)
▲合成化学工学科有機合成化学講座ジンギスカン
パーティ(1972年頃)

—自由闊達な鈴木研究室だったのですね。

宮浦 ええ、それともう一つ特筆すべきことは、鈴木先生の豊かな国際センスです。研究室にはブラウン先生の門下生をはじめ海外からの訪問者が多く、当時から非常に学際的な雰囲気がありました。ゲストを相手にジョークを言いながら、その場を取り仕切る先生の姿を幾度も拝見しています。女性のためにさっとドアを開けるような紳士的なふるまいも実にさりげなくされますしね。オープンマインドとフランクなお人柄で、国内外にすばらしい人脈を築いていかれたのではないでしょうか。

図-002
▲鈴木先生(右)とウィーンの森にて(1985年)

—今回のノーベル化学賞受賞の偉業は北海道の研究者たち、とりわけ未来の研究者たちにも大きな希望を与えてくれました。

宮浦 日本の中央から離れている北海道大学は研究環境として不利である、というイメージは完全に払拭できたと思っています。今や情報はインターネットで収集することができますし、かえって情報過多の環境では、"独創性の高いオリジナルな研究"をすることが困難になってしまいます。むしろ心身に余裕が持てる環境こそが、今回のような偉業につながるいい研究成果を後押ししてくれる。そう考えるとキャンパスに豊かな緑が広がり、自分が信じた研究に没頭できる北海道大学は教育研究環境として理想の場。クラーク博士が唱えたフロンティアスピリットを土台に、鈴木先生に続く"世界の英知"に挑む若手研究者の台頭とさらなる成長を期待しています。

鈴木カップリング反応試薬のパンフレット。鈴木カップリングは非常に多くの企業、研究者に利用されているため、試薬の需要が大きい。多くの試薬会社から、非常に多種多様の試薬が販売されている。また、販売促進を目的としたパンフレットも多く作成されている。
■鈴木カップリング反応試薬のパンフレット
鈴木カップリングは非常に多くの企業、研究者に利用されているため、試薬の需要が大きい。多くの試薬会社から、非常に多種多様の試薬が販売されている。また、販売促進を目的としたパンフレットも多く作成されている。