俣野解析演習の結果

はじめに

学生実験の一環として、俣野解析の演習を行ないました。 実験は「無事に」終了しても、データの解析で苦労する人を例年見かけるので、 解析手順の手引きを 用意したり、 質問に来た人には誠意を持って対応に努めたりと、 出来る限りのことはしているのですが、 やはり課題そのものが難しいんですよね。 実は俣野解析自体は、 材料工学を学ぶ上で必須ということはないかも知れません。 しかし私達が毎年のレポートを読んでいて見過ごせないと思うのは、 「理論値(文献値)を再現できないのは、手作業による誤差である」 という考察です。 私は "世の中に誤差のない実験は存在しない" というステートメントに 反対するものではありませんが、 誤差の原因は何が考えられて、より正しい結果を求めるには どこを改善すべきかを考えない考察は無意味です。 また、誤差の大きさを見積ることをしなければ、 「世界で初めて行なわれた測定の結果」の価値は大きく損なわれます。 比べるべき先行研究の結果がないから出した値は正しいかどうか分らない、 というのではがっかりです。 そんな訳で「手作業の誤差」の大きさを評価してみようというのが この演習の目的でした。

やった事

どんな課題だったか復習してみましょう。 図1に示したのは、演習に用いた架空の拡散対の濃度プロファイル曲線です。 実はテキストの 付録Bで説明した、拡散係数が濃度に依存しない場合の解である誤差関数に 乱数を被せて実験結果っぽいグラフを描いたものです。 コンピュータで生成したデータなので、 解析を行なった際の結果は厳密に判っています。 熱処理時間は1時間と約束しました。 この曲線を用いて、 15 % と60 % における拡散係数を求めるのが課題でした。 もちろん結果には興味はなく、 各自が一切相談をしないで独立に計測を実施したときに、 どれだけ結果にバラつきがあるかの方に興味があります。 そんな訳で、「試験じゃないけれど、席は離れて座り、私語は禁止ね」と 指示したのでした。

図1. 課題の例。 コンピュータで人工的に作った仮想的な拡散対の濃度プロファイル。

結果の集計

提出された解析結果を見て行きましょう。 まずは図2に示した俣野界面のx座標から。 報告された測定値を縦軸に取って、折線グラフにしてみました。 厳密解は水平な点線で示してあります。 殆どの測定結果が 厳密解である x = 33.0000 μm付近に集積しているのですが、 6番と9番の人は他とは異なる結果を出しています。 俣野界面の位置を決定するのに使った紙片の重量も見てみると(図3)、 こちらでは9番の人は特に外れた値を報告している訳ではなく、 6番の人は少し違った傾向を示していますが、 特に大きく外れている訳でもありません。 多数決で "正解" を決めようという態度は科学的とは言えませんが、 6, 9の二人は解析の上で何らかの錯誤があったものと思われます。

 
図2.  報告された俣野界面の位置座標。 図3.  紙片の重量の測定結果。
  横軸は実験者の番号を示すが、匿名化のため
番号はランダムに付けられており、学籍番号
等と関係付けられてはいない。
左向き三角(マゼンタ)がプロファイル曲線の
左側の重量、右向きが右側の重量である。
 

図4はこの俣野界面の測定結果の分布を示すヒストグラムです。 図中に下向き三角形で示したのが厳密解の位置です。 測定値の平均を縦の点線、 (平均値) ± (標準偏差)の範囲を水平な点線で示しました。 ただし報告された値の内、 上の段落で述べたように検討した結果、外れ値と判断したものは、 平均や標準偏差を求める際には除外してあります。 正に断腸の思いと言うものです。 図4を見ると下向き三角形は水平な点線の上に乗っており、 正しい値は測定値の誤差の範囲の中に入っていることが分ります。 具体的に数字を挙げれば、(厳密解は既に述べましたが) xexact = 33.0000 μm、 xmeasure = 33.1 ± 0.46 μmとなります。 水平の点線の上に下向き三角形が乗っているので、 測定誤差の範囲に正解があることが一目で判ると思います。

図4. 俣野界面の測定値の分布。

厳密解を三角形、測定値の平均を縦の点線、標準偏差を水平の点線で それぞれ示すという約束は以下でも同じです。 以下のヒストグラムの見方は同じようにして下さい。

さて次はc = 60 % での微係数を見てみます。 図5に濃度 60% における接線の傾きの測定値の分布を示します。 一瞬「大成功」に見えますが、 外れ値を少し詳しく検討すると真相が見えて来ます。 図6に示したのはプロファイル曲線への接線が c = 0% と100% の基準線に交差する座標の測定値です。 下向き三角形が c = 0% の基準線との交点 (x切片という名が付いています)、 上向き三角形が 100% 基準線との交点です。 また、濃度 60% における接線との交点を実線、 15% における接線を破線と区別しています。 図1上では 15% での接線の方が "寝ている" ので、 破線同士の間隔の方が開いているのは良さそうです。 しかし問題なのは、論ずべき微分が dx / dc、 すなわちグラフの縦軸、横軸を交換したときの傾きであるということです。 図6を見る限り、 どの測定でも Δxは 100 μm を越えていないので、 Δc = 100 % に取っているのですから 微分は 1 μm/% 以下になりそうです。 外れ値の3点は割り算の分子、分母を逆にしたと推定されます。 従ってこれらについても逆数を取ればちょうど良い値が得られるのですが、 作為的なデータ処理は慎むべきなので、 再び断腸の思いでこれらの値を除外しましょう。

図5.  濃度 60% における接線の傾きの測定値。 図6.  接線と軸の交点座標。

これらのデータを除外すると横軸のスケールがすっかり変ります(図7)。 図5では外れ値も入るように横軸を取ったので、 有効な測定値も厳密解も同じ階級に入ってしまったのでした。 図7でも厳密解は誤差の範囲内に入っていますが、 平均値が 0.30 μm/% に対して標準偏差が 0.05 μm/% なので、 相対誤差は 1/6 = 17% となります。 テキストの 2.4節の項目4の中で(表2の少し上)、 「結果のばらつきは高々数割であろう」と書いてありますが、 実際に2割弱の誤差がありました。 最終的な拡散係数の測定値に大きな誤差をもたらすことになるので、 接線を引く際には気を付けなければなりません。

図7. 濃度 60% における微係数の分布。

積分の測定値も同様に厳密解は誤差の範囲に入ります(図8)。 こちらも微分同様にばらつきが大きいのですが、 測定結果の平均値は厳密解のすぐ近くに落ちています。 相対誤差は再び2割強でした。 実は、報告された紙片の重量から直接積分を求めてみると、 Imeasure = -489 ± 64 μm% となりました。 厳密解は Iexact = -463.611 μm% なので、 こちらも満足すべき一致です。 更に相対誤差は 1/8 強と半分近く減ります。 紙片を切る精度も高くはありませんが、 現状では解析の過程での錯誤が同程度のばらつきを生んでいるので、 きちんと解析方法を確認すれば、誤差は半分程度になると期待できます。 「測る場所を間違えたでござる」というのを "誤差"と呼ぶかという問題はありますが。

図8. 濃度 60% までの積分値の分布。

濃度 15% における測定結果も図9(微分)及び図10(積分)に示します。 濃度 60% では比較的濃度プロファイル曲線が直線に近いのに対し、 15% ではプロファイルが曲っているので、接線の引き方に個人差が 現われ易いだろうという予想を立てていました。 実際には測定値のばらつき(相対誤差)は、濃度 60% と 15% で 大きくは異ならないという結果を得ました。 不思議なことです。 厳密解と測定値のずれが大きいというのは見立て通りで、 図9は全ての結果の中で唯一、エラーバーの範囲に厳密解が入りません。 積分についても誤差が大きく、相対誤差にして1/4弱の誤差があります。 重量を測るべき紙片が小さくなるので、 その分相対誤差が大きくなるだろうという予想通りでした。

図9. 濃度 15% における微係数の分布。

図10. 濃度 0∼15% の範囲の定積分の分布。

最後に二つの拡散係数測定値の分布を見てみます。 図11, 12に濃度 60% および 15% における拡散係数の測定値の分布を示します。 やはり 15% の方が心持ち相対誤差が大きくなります。 純物質近くの組成で誤差が大きくなるのは俣野解析の宿命です。 0に近い定積分に無限大に近い微係数を掛け算をして、 有限な拡散係数を求めるのですから、 誤差が大きくならざるをえません。 でもどちらの結果も、除外されなかった7つのデータの平均値は 厳密解のすぐ近くに落ちていますし、 エラーバーの範囲の中に厳密解は捕えられています。

図11. 濃度 60% における拡散係数の分布。

図12. 濃度 15% における拡散係数の分布。

まとめ

以上、 誤差関数を乱数で修飾した架空の濃度プロファイル曲線の解析を通して、 俣野解析中に主観的な判断により導入される誤差の大きさを 評価してみました。 その結果、条件が悪いと3割強の相対誤差が生じることが分りました。 しかし大きいとは言っても数割の誤差です。 文献の数倍の値が得られたような時に、 実験者の主観的な判断(手作業)にその原因を全て帰するのは 困難と考えられます。 明らかにおかしな結果が得られた時には、 「誤差でした」で片付けるのではなく、 解析手順を確認してみることが重要です。

最後に、アホな実験に協力頂いた受講生のみなさまに感謝します。