すごいね!クールラボラトリー[研究者紹介]

教授 伊藤 肇
大学院工学研究院 応用化学部門
有機工業化学分野 有機元素化学研究室
教授 伊藤 肇
[プロフィール]
○研究分野/有機化学・錯体化学
○研究テーマ/発光性メカノクロミズム・有機合成反応開発
○E-mail/hajito[a]eng.hokudai.ac.jp
2014.01.15掲載

発光性メカノクロミズム:こするだけで分子構造が変化
ナノレベルの相互作用を解明する世界的な発見

有機物と元素の組み合わせを研究する新しい世代の研究室

現代の化学は、すべての「元素」を対象に研究が行われている。ここは伊藤肇教授のもと、有機物と元素の組み合わせを研究対象とする新しい世代の研究室で、有機化学とそれを大きく拡張した有機元素化学をベースに、新しい触媒反応・新機能材料の開発に取り組んでいる。現在の主な研究テーマは「発光性メカノクロミズム」「有機ホウ素化合物の合成」「CH結合活性化反応」などであり、医薬品や液晶、有機EL材料などの分野への応用展開が期待されている。

さらに2012年には、ケイ素とホウ素とが結合した「シリルボラン」を活用した効率的な有機ホウ素化合物の合成法を開発。これまで触媒として用いていた重金属を使わずに合成できるため、コストを従来の20分の1に抑えたうえに、より簡便で安全に多種類の有機ホウ素化合物をつくり出すことに成功した。なお、有機ホウ素化合物は鈴木章名誉教授が発見した鈴木カップリングにおいて必須の物質であり、有機合成の世界では重要な化合物である。

機械的刺激による分子構造変化を発光という形で観察できる化合物

これから紹介するのは2008年に発見された発光性メカノクロミズム特性を持った化合物について。発光性メカノクロミズムとは、ある化合物に対して機械的刺激を与えたときに、紫外線などによって発光色が変化する性質のことである。「何らかの外的な刺激によって化合物が吸収する光や発光するときの波長が変化することをクロミズムといいます。熱や光、電気などで色が変わるものはすでに知られています。メカノ(こすったり引っ掻いたりする機械的な刺激)で発光色が変化する現象は過去にほとんど例がありませんでした。しかし、我々の研究グループの発見をきっかけとして、世界中で続々と研究が行われるようになりました」と伊藤教授は語る。

じつは、発光性メカノクロミズムの発見は偶然の産物だった。この化合物は、ある学生が全く別の目的-有機化合物の触媒反応-のために合成した錯体であった。この錯体は金を中心に作られており、紫外線照射下で弱い青色の光を発する。この光の測定のためにサンプルを2枚の石英板で挟むのだが、この学生がサンプルを挟む際にこすってしまった。そのままサンプルを測定したところ、紫外線照射下で発光性が著しく変化することに気づいたのだ。これはクロミズムの一種ではないかと考えた伊藤教授は、この現象についてもうすこし深く掘り下げるアドバイスを学生に行った。

試行錯誤の結果、この現象は色あせることもなく、サンプルも分解せず、何度も繰り返し起こすことができることを発見した。長細い工具(スパチュラなど)でこすると、こすられた部分だけが黄色に変化する。そして、ジクロロメタンなどの有機溶媒を加えるともとの青色発光に戻り、少なくとも20回はこの現象を繰り返すことができた(解説1:動画)。

「この発見において最も大きな衝撃は、数センチの工具で起こした機械的な刺激によって、化合物の分子の大きさであるナノの世界の構造をコントロールできることです」。例えて言うなら、高いところから周囲数キロある札幌ドームを見渡しながら、地上にある1ミリの大きさのごまの並べ方を変化させることになり、サイズに大きな隔たりがあるのだ。「発光性メカノクロミズム特性を持った化合物は、わずかな力を加えただけでも分子構造が変化し、その様子を紫外線(ブラックライト)の照射によって観察できる。マクロな刺激が分子構造を変化させるメカニズムは、これまであまり意識されず、研究もほとんど行われてきませんでした。発光性メカノクロミズムは非常に感度が高く、ほんのわずかな構造変化も観察できるため、大きなサイズの物理的な力とミクロな分子の関係を研究する新しい手段になるのではないかと期待しています」

その後、同研究室だけでなく、様々な研究者によって発光性メカノクロミズム特性をもった化合物が200以上発見された。伊藤教授は、サンプル測定結果から発光性メカノクロミズムは分子どうしの位置関係が変化することによって起きると考えている(解説2)。数センチ単位のマクロの刺激が、1万分の1の大きさのナノサイズの分子にどのように作用しているのかについて、まだ明らかになっていないことは多く、この変化のメカニズムを解明することが研究室の現在のテーマの1つとなっている。

結晶中の分子の《ドミノ倒し》を世界で初めて観測

さらに、この研究室では、極めて小さな外部刺激をきっかけに分子配列が《ドミノ倒し》のように変化する有機化合物の結晶を世界で初めて発見・観測した。

「これはメカノクロミズムの発展型で、結晶のある1点に微細な刺激を与えるだけで結晶内の分子配列が変化し、その変化が結晶外形や均一度を保ちながら全体へ広がっていく現象です。性質が変化する相転移は、結晶の場合、熱、圧力、光などの外的刺激が知られていましたが、わずかにこする・触れるという機械的刺激をきっかけとして、ある結晶から別の性質を持つ結晶へと相転移が起きる現象を観測したのは私たちが世界で初めてで、この現象を《分子ドミノ》と名付けました」
(解説3)

本研究で新たに合成した有機化合物(フェニルフェニルイソシアニド金錯体)は、1つの結晶に約20京(一京は10の16乗)の分子が含まれている。分子1つを1個のドミノ牌とすると、この現象は世界最大のドミノ倒しとも言える。

分子の相互作用を「力」の広がりから解明
多様な分野での応用にも期待

分子そのものを構築する方法は、この150年の間に大きく発展してきた。ある程度のサイズより小さいものであれば、ほとんどの分子が合成できるようになってきた。こうした小分子の合成に関しては、コストダウンや生産性の向上に向けた研究へシフトすることが世界的な傾向となっている。しかし生物では、生物を構成する分子そのものの働きに加えて、分子どうしのお互いの関わり方(分子間相互作用)が重要になっている。これにも、まだ多くの謎が残っている。「私たちの発見・観測は、分子が配列したり、相互作用したりする詳しいしくみを解明するための一つの入口になっているのかなと考えています。分子の並び方や相互作用の詳しいしくみを研究していく世界はものすごく広大なので、発光性メカノクロミズムや分子ドミノのしくみが分かったからと言って一気に知見が広がることはないと思っています。しかし、広大な学問体系に小さな点を打つだけでも、その点を見た人が別の発想で捉えれば、また違う方向に進むかもしれません」

伊藤教授の研究の多くは基礎研究であって、今すぐ商品化に結びつくものではないかもしれない。しかし、応用が考えられる分野は幅広く、思いがけない展開が生まれる可能性も大きい。

「発光メカノクロミズムや分子ドミノの発見により、これまで測定する方法がなかった弱いスケールで働く力を見つけることが可能になりました。例えば、細胞が分裂するとき細胞内にどのような力がかかっているかといったことも測定できるようになると考えています。今後、新しい発光性メカノクロミックプローブの開発や発光性メカノクロミックチップの作成にも取り組んでいきたいです」と伊藤教授は語った。


解説1 発光性メカノクロミズム
解説2 発光性メカノクロミズム現象のメカニズム
産総研サイトよりPDF
解説3 分子ドミノ
PRESS RELEASE (2013/6/14)

発光性メカノクロミズム特性をもつ新規金錯体

室内光下

図1. 発光性メカノクロミズム特性をもつ新規金錯体(紫外線照射下)

紫外線照射下

図2. 発光性メカノクロミズム特性をもつ新規金錯体(室内光下)