• 1998, 1/x

    滞在中に2回もFMでアラバマのディキシーランドディライトを聞いた。これはスパドラのレパートリーであった。アラバマはテレビにもよく出ていて結構人気があるようだ。

    ローズロックは世界でもオクラホマでしか採れないそうである。オクラホマにはたくさんインディアンがいるがもともといたのはごくわずかで、ほとんど他の土地から強制移住させられたそうである。この強制移住でたとえばチェロキーインディアンの1/4は死んでしまったそうである。

    「天から見ている神は勇敢なチェロキーを称え地表に落ちた勇士の血と乙女の涙をチェロキーローズロックに変えた。これが悲しみの旅(The Trail of Tears)の最終地であるオクラホマにだけこの石がたくさんある理由だ」と伝説にある、と日本語のパンフレットに書いてあった。内田さんによるとこれは新しすぎるので伝説ではないということである。

    なぜワープロで打った日本語のパンフレットがここにあるのかは不明であるし、なぜせっせと土産物を作っている老眼鏡をかけた博物館のおばあさんが「ドウモアリガトウゴザイマシタ」等というのかはもっと不思議である(田舎に住んでいるアメリカ人のほとんどは日本人を生で見たことなどないと私は信じている)。

    オクラホマの地質図(この辺の基盤岩はまっ平らになっているかと思っていたがそうでもないようだ)

    タミーは他にいい仕事が見つかったのでそっちに移るそうだ。転職や離婚は外人にとっては朝飯前のようだ(カトリック信者は離婚・中絶できないかもしれないけど)。

  • 1998,1/x

    朝日新聞によるとアメリカではクリントン大統領のセクハラで大騒ぎだということだ。大騒ぎしてるところもあるのかもしれないが。オクラホマではほとんど話題になっていない。こちらでは今開催されているロデオ大会の話題で持ちきりである。

    朝のニュースはともかく、夜のニュースではほとんどオクラホマ以外のことはやっていない。ロンドン、パリなんて言葉はもちろん、ワシントン、ニューヨークさえほとんど聞いたことがない。本当に田舎である。

    諸事情によりこれからのことは詳しく書けないが、とにかくメールのアドレスはfujii@rock.eng.hokudai.ac.jpを中間君が復活させてくれた。郵便等も送られても困る。しばらくはFaxとメールだけである。なお、きょうはMartin Luther King Jr. Dayでお休みである。

    クリントンはやっていないが聖火が消えに消えていることはこっちのテレビでもやっていた。アナウンサーはみんな爆笑していた。しかし、この松明を作った会社は大丈夫だろうか?倒産しなければいいが。

  • 1998, 1/x

    車を売る手続きをした。権利書を銀行に持っていって、「ノータリー頼む。」といい、サインする。ノータリー(綴りはわからず。凸凹ハンコ)してもらったら売る相手に渡して終わり。その間わずか3分であった。前にいったInspectionというのはある修理屋にいったら「あそこのTexacoでやってる」と教えてくれたのでTexaco(ガソリンスタンド)にいって約15分、$5くらいであった。排ガスを調べるらしいのだが本当に調べたのかは不明。

    タグ(ナンバープレート)の一年期限が切れそうになったときは書類が送られてくるのでタグエージェンシーにいってこれ頼むといったら$100位(税金)で新しいシールをくれ、自分でタグに貼り付けて終わり(悪天候の日に貼り付けると取れやすいと注意が書いてあるだけ)。

    本当に簡単である。でも私は日本の車検は嫌いではない。特にぼろ車に乗っている場合はそうである。もちろんもっと安ければいいが、あれはほとんど税金なので車検屋よりも政府に文句を言うべきである。

    この一週間は暖かい。ニセコの春スキーといった感じである。風にも少し緑の匂いが混じっていて何となくうれしく、仕事はしたくない。函館ではみぞれ降って雪固まるという最悪の状況らしい。困ったものだ。

  • 1998, 1/x

    今日はRMIに来る最後の日だ。昨晩からSooner HotelのSuitに泊まっているのだが(石島先生の泊まった部屋のような気がする、普通の部屋が空いてなかったので)、まずは暖房が壊れていた。業者が来て直してくれたが寒かった。次に、壁が薄い。隣の人の話し声がはっきりと聞こえる(意味までわかるとはいっていない)。何となく環境は来た当初と同じである。車も今日渡してしまうし。

    昼にはお別れランチをやってくれるらしい。この半年、雑用から解放され、研究に集中できた。論文もいっぱい書いたし、実験もさせてもらった。アメリカの岩力屋が何をしてるかとか、石油工学における岩石力学とか、アメリカの生活についても少しわかった。英語もほんの少し上達したように思う。

    私の場合は諸事情で半年間としたが、在研で1年外国滞在は独身のドクターを持ってる助手には絶対のお勧めだと思う(もちろん最初はつらいけど)。北海道の人は夏に行って夏に帰ればいい。私の場合は雪かきが大変だ。車も車検切れでバッテリーも上がっているはず。考えただけでもぞっとする。ストーブさえ点けば何とかなると思うのだが。

    私の住んでいるところは1時間に1本のバス停こそ歩いて5分だが、最寄りのPALMが歩いて15分、スーパーが歩いて20分である。昔は冬になると必ず何人か行き倒れになったらしい。車がないとかなりつらい。車があっても4駆でないとつらい。何年か前の雪がいっぱい降った冬は毎晩うちの前で車が埋まっていた。屯田の吹雪も有名である。一冬に数回は命懸けで(大袈裟ではない)めくら運転をする。

    いろんな手続きをしに学内を久しぶりに歩いたら、写真屋のお姉さんを見かけた。このお姉さんがいれば私の名前を覚えてくれていたので顔パスであった。土日しかいないと思ったら学生だったのか。

    IDカードを返しに行ったら(結局お土産にもって帰りなさいということになったのだが)Mr. Goodcentsのお兄さんにひじを小突かれた。私はここのサンドイッチは全部制覇している。サブウェイよりずっとうまい。サブウェイは日本にあるんだと教えてあげると、日本でMr. Goodcentsを開業しろといわれた。長野に行くのかとも聞かれた。いやがうえにも別れの気分が盛り上がる。

    北海道の場合大抵引っ越しは冬である。官舎に入ったときは大雪の12/31であった。ハイエースにはチェーンを巻いて走った。渡辺氏と熊倉氏はかなり悲惨であった。今の一軒家に移ったときは11月であったが吹雪であった。

    ランチに行った。いろんなものをプレゼントしてくれた。私ははっきりいって愛想が悪いが、日本人の場合は多少愛想がよくても悪くてもアメリカ人にすればシャイなどんぐりの背比べということになるのかもしれない。

    100BASE-TXカードを使えなくなってしまったのは残念だがこのパソコンもよくがんばってくれた。そろそろこいつもしまうときが来たようだ。快く送り出してくれた石島先生を始めとする資源開発工学科、ならびに、地盤工学講座の皆さん、親切に受け入れてくれたDr. Roegiersを始めとするRMIのスタッフ・学生の皆さん、そして、半年間文句を言いながら待っていてくれた恵理子、文句を言わずに待ってくれた、彼女ら(うちの家族は私以外はふぶきも含めみんな女である。ふぶきはおなべかもしれないが)が大変迷惑をかけたであろう山本家の皆様に心から感謝したい。

    さようならRMI。