Architectural History and Design Lab.
STUDY
分野の目標
 歴史的な建造物や町並みは、人間存在の基本に関わるばかりでなく、建築空間や都市空間を創造、形成するにあたっては、無視しえない資産といえます。近年の登録文化財制度指定の動向からもわかるように、歴史的アプローチによる建築意匠学は、今後ますます重要度が高まるでしょうし、建築創造的基盤としての役割は大きい。本分野は、建築における歴史と創造の関わりを意識しながら、日本近代における建築創造の過程、創造に関わる組織や人、都市・住宅地および集落の形成史、歴史的資産とまちづくり、歴史的建造物の保存活用手法・技術などを研究、調査活動し、またそれらに関連する基礎的知識を教育することを目標としています。
主な研究から

北海道における建築組織と建築家・技術者研究

 北海道の建築界の動きを概観する上で、営繕組織や建築家・技術者、建築業者の実態を明らかにし、その変遷を追う必要があります。北海道にあっては、戦前期の建築界の活動中心が営繕組織や技術者によることもあって、北海道庁や樺太庁、札幌市、小樽市などの営繕組織に関する研究や伊藤組をはじめ、大正・昭和戦前期に活躍した道内建築請負事業者に関する研究事例が挙げられます。また、田上義也(1899-1991)やマックス・ヒンデル Max Hinder(1887-1963)、関根要太郎(1889-1959)といった民間建築家に関する研究も重ね、北海道における本格的な近代建築家像の一端を明らかにしています。
 ここでは、北海道大学の前身にあたる札幌農学校の設計に携わった建築家である中條精一郎研究の一部を紹介します。

 中條精一郎(1868〜1936)は明治元年米澤藩に生まれました。彼は、明治31年帝国大学工学部建築学科を卒業し、翌年文部省技師として札幌に赴任し、その後同36年英国留学などを経て、同41年曾禰達蔵とともに、戦前の日本において最大であった曾禰中條建築事務所を開設しました。そして岩崎家熱海別邸が遺作となり、昭和11年67歳で没しました。彼の北海道での活動としては、後期札幌農学校の各教室の設計があげられます。後期札幌農学校の一部(図書館・書庫、昆虫学及養蚕学教室、動植物学教室の一部分)は現存しています。


札幌農学校図書館及び書庫

札幌農学校農学教室

図書館/書庫平面図及び立面図

農学教室平面図及び立面図
北海道大学キャンパスおよび関連施設の歴史的・意匠的展開

 北大の歴史は、開拓史学校が札幌に移転し、後に専門科の設置と相まって明治9年に開校した札幌農学校に始まります。その後、移転・東北帝国大学への改組・北海道帝国大学への昇格を経て、昭和24(1949)年、新制北海道大学となりました。

 本研究室ではキャンパスプランの決定・キャンパス変遷の文書、地図、新聞などを基とした考察や当時の営繕組織と、その技術者および建築活動についての研究を行っています。また、現存する図面を基に表面上の意匠や景観のみならず、構造材や建具といった細部に至るまでをコンピューター・グラフィックス(CG)を用い、3次元的な復元を行っています。
札幌農学校
図書館倉庫の復元
近代日本における企業社宅街に関する研究

 近代以降に成立した企業社宅街について、全体配置計画、区画計画、各住戸、社宅街における生活という視点を中心として研究を行っています。

当研究室では、北海道の社宅街を中心として、日本期のサハリンの社宅街や戦前期に成立した全国の社宅街事例について調査・報告を行っております。社宅街は、日本近代における産業革命と同時に成立し、開発当初は劣悪な環境であったことも否めません。しかし、資源供給地に隣接された北海道や樺太などの「僻地」では、労働者を確保するため、良好な住環境を整えた企業社宅街事例が数多く見られます。このような社宅街の中には、社宅街政策が終焉を迎えた1970年代以降は、住宅地としてその趣を変えて現在に至っている事例もあり、産業遺産としての評価をすることもできます。とはいえ、建物および資料は減少傾向にあり、調査・研究が急がれます。
新日鐵釜石写真

完成当時の上中島
(釜石市鉄の歴史館所蔵)

小川8級住宅

鈴子倶楽部
(釜石市鉄の歴史館所蔵)

ラジオ体操の様子
(所内報「かまいし」より)
北海道における郊外住宅地と住宅に関する史的展開

 今日、郊外住宅地に関わる一連の研究が盛んに行われており、当時の郊外住宅地思想・計画及び建設された住宅事例の調査・報告により、都市形成の骨格を明らかとしています。

 当研究室では、これまでに北海道における郊外住宅地のいくつかの事例の調査・報告を行っています。札幌都心部近郊では、昭和初期以降、円山・山鼻地区の円山山麓周辺が「理想的郊外住宅地」として脚光を浴びると共に、大学教授、医師などの知識階級が次々と住居を構えました。当時建設された住宅の中には、著名な建築家によって設計されたものも多数見られ、閑静な佇まいの特色ある景観を呈していましたが、近代化の波に飲まれ、現存する住宅数は減少の一途を辿っています。
小樽文化住宅組合
旧佐々木宅外観(上)
および平面図(右)
日本統治期のサハリンにおける建築と都市

 北海道の北にある長大なサハリン島は、1905年のポーツマス興和会議により北緯50度以南が日本領となり、第二次世界大戦の終結までは日本の手で積極的な拓殖経営が行われていました。当研究室では、1995年度から当時の中心都市豊原(現ユジノ-サハリンスク)ほか南サハリン全域を対象に、日本統治時代のサハリンにおける建築活動の研究を続けています。ここでは、サハリンに現存する日本時代の建築物例と実測風景を紹介します。
歴史的資産の保存・活用とまちづくり

 北海道では、函館市・江差町・松前町・小樽市などに現在も当時の繁栄を物語る歴史的建造物が多く残されています。
 歴史的資産はその歴史的・文化的価値もさることながら、地域の独自性や文化の継承などを担う上で、多くの可能性も持っています。
 現在、全国で展開されている「歴史を生かしたまちづくり」とは、歴史的資産の可能性を見いだし、まちの活性化に繋げようという試みです。地域が抱える問題は、少子高齢化、中心市街地の衰退、過疎化など多岐にわたり、その構造も複雑化しています。今後の歴史を生かしたまちづくりにおいては、歴史的資産の役割・意義を再認識するとともに、これらの問題を地域住民が自己の問題と捉え、また行政は計画段階から住民と連携し、よりよい生活環境の創造を官民一体で目指すことが重要です。

京都市/三条通

栃木市/塚田記念館

南木曾町/妻籠宿